もし明日死ぬとしたら、誰と過ごしますか?
こん○○は。
作り手の想いにストーリーという名の翼を授ける「ストーリービデオグラファー」藤堂八雲がつづる、今日の雑感。
以前、人生観とまでは言わないが、自分の生きるうえでの指針的な話を書いた。
僕は職業観なんていう立派なものを持っているわけではないが、振り返って自分の社会人人生を整理していると、「あ、こういう「芯」に沿って生きて来てるんだな」ということが見えてくる。
そういう意味で、こうして言葉として書き記しているうちに、自然とそれが整理されるという機会と環境を与えてくださっているnoteさんには、心から感謝である。
さて、「職業と人生のはざま」などという言葉が世の中に出て久しいわけだが、僕の人生は、ワークとライフがぐちゃぐちゃ 折り重なっていた時期が実に長い。
30年近い社会人人生で、純粋な正社員だけで仕事をしていた期間が、わずか数年しかないからだ。
かなり駆け足で端折った説明になるが、僕の社会人人生はこんな感じだ。
最初の就職は数人のベンチャーで、一応正社員だったけど、社長がなんとか教の教祖みたいな感じで、1日に何度もキレて怒鳴る、僕は毎日早朝から夜中まで仕事して土日は疲れてずっと寝てるみたいな、プライベートがほぼない生活だった。
その後スカウトされて外資系生保での完全歩合の外交員、そのときのご縁で知人のベンチャーの海外事業部を業務委託で支援、そのあと、元いた外資系生保の内勤職として出戻り。
その内勤職の4年だけが、まともな正社員だった。
その安定していたと思われる生保の内勤職を辞め、採用関連サービスで独立、起業し、約10年で30人ほどの会社にしたあと、生き方を変えるため、その経営から退いた(株は持っている)。
その後は、顧問先を数社持ちながらコンサルをやってきたところで、ビデオグラファーとして新たな道を切り開いた、という感じだ。
ということで僕は基本的に、自分の収入や事業の収支を常に気にしながら生活していたので、ブラック企業勤めのころも含め、土日関係なく仕事をするという生活が当たり前になってしまい、ワークライフバランスと言われても「なにそれおいしいの?」という感じだった。
自分の会社を作ってからは、自分が経験したブラック経験は、絶対に自分の従業員たちにはさせまいと、自分だけは24-365で仕事をするという、言ってみれば、永遠にゴールにたどり着かないメビウスの輪の上を全力疾走している、みたいな、なんかよくわからない生き方をしていた。
そんな生活を続けていたある日、突如、親の介護問題が目の前に現れた。
それは、今までにないインパクトであった。
自分だけではコントロールできない2つの問題(会社と家族)を、同じ優先度で、同時に対応しなければならないという、今まで経験したことのない状況に陥ったからだ。
今までになく悩んでいた僕は、ある本に出会った。
この本を見かけたのは、東京駅のオアゾの丸善だった。
この本のタイトルだけでも気になったのだが、僕の心をえぐるようにつかんだのは、その副題の方だ。
「もし明日死ぬとしたら、誰と過ごしますか?」
「会社と親のどっち」などと悩んでいた僕を、この一文が一喝してくれた。
※ 追伸、kindle派なので、その場でスマホで電子書籍で買いました。。
丸善さんごめんなさい🙇
長い時間考えれば解決することもある。
誰かに相談し、語り合えれば解決することだってある。
でも、たった一言の文章で解決することだってあるのだな、と痛感した体験だった。
僕もそうだったが、俗に言う「究極の選択」のような状況に置かれ、どちらを優先すべきか、どちらを選ぶべきかと悩んでいる人は、「モノ」ではなく「ヒト」が起因して、悩んでいると思う。
そのときはぜひ、この言葉を思い出してほしい。
もし明日死ぬとしたら、誰(どちらの人)と過ごしますか?
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