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あなたのそばにいる人は、笑っていますか?

こん○○は。
作り手の想いにストーリーという名の翼を授ける「ストーリービデオグラファー」藤堂八雲がつづる、今日の雑感。


「藤堂さんって、なんでそんなに楽しそうに仕事できるんですか?」


最近仕事でご一緒した、ある方(仮称:Hさん)から、突然言われた言葉だ。

自分では今までそんなことを考えたことがなかったことなので、一瞬戸惑ったのだが、こう答えた。

「うーん、自分が楽しくなかったら、周りの人も楽しくないだろうな、と思うからですかねぇ」

一瞬考えはしたものの、それは自然に出てきた言葉だ。

Hさんは、しばらくきょとんとして、その意味が伝わったのか伝わらなかったのかは、明確な言葉にはしなかったが、ニコッとして受け止めてくれた。


さて、世の中において「自己中心的」という言葉が「よくない響きの言葉」であることには、みなさんも異論はないだろう。

しかし、僕は、その言葉が嫌いじゃない。
(「自己チュー」となると、響きがあまり好きじゃないが)


みなさん、ちょっと考えてみてほしい。

この地球で、常に他人を中心にして生きている人なんて、マザーテレサとかガンジーとか、そういう仙人みたいな人だけじゃないか?と。。

つまり、そうしたレアな人たちを除けば、世の中みんな自己を中心として生きているっていうのに、その言葉はなぜ悪者扱いされてしまうのか?と。

ほらそこのあなたも、「自己中心的」という言葉が、「もしかしたら、濡れ衣を着せられた超かわいそうな言葉なんじゃないか?」って思ってきたでしょう?



「情けは人の為ならず」の誤用はよく聞くが、「情けは人の為ならず。めぐりめぐって己(おの)がため」であることは、みなさんご存じの通り。

そこで僕はこれから、その逆向きな流れで話を展開したいと思う。

どういう意味かというと、「人のため」→「己がため」ではなく、「己がため」→「人のため」という流れで話が進むということだ。


■ 注意:テストに出ます ■

自己中心的であることは、ある条件が存在する限り、悪ではない。

藤堂八雲 語録



「ある条件」とは以下の通り。

自己を中心に据えて、「周りを幸せ(笑顔)にしよう」という思考。

恐らくこの思考には誰しも、「悪」という要素を感じないだろう。


当然その条件から外れ、自分だけが楽しければいいとか、迷惑をかけるなどというケースは十分に悪の要素があるだろう。

しかし、周りにプラスの価値をもたらそうという意識を持って自分が楽しむという生き方は、僕は善だと思うのだ。


周りを笑顔にしようという気持ちを持って、自分を中心に据えて、楽しく生きる。
もしみんなこういう生き方が出来たら、幸せがどんどん伝播するんじゃないかな、なんて思う。



さて、冒頭の質問をしたHさんは、とても真面目で責任感が強く、周囲をものすごく気にしながら生きるようなタイプの人だった。

10分くらい話しただけで、プライベートはわからないが、とても息苦しそうに毎日仕事を頑張っているんだろうな、という様子が目に浮かんだ。

そんな彼が、僕がケラケラっと楽しそうに仕事をしているのを見て、やむにやまれず冒頭のような質問を口にしてしまったんだろう。


「自分が楽しんでいれば、自分に関わる人も楽しくなる」という考え、読者のみなさんはどう思われるだろうか。


ちなみに僕は、その考え方がずれてないかなーと内省するための基準として、次の言葉を自分に問いかけている。

「あなたのそばにいる人は、笑っていますか?」


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