私、生まれて初めてのツアー
私、生まれて初めてツアー行きました。
『まわりました』って言う方が、それっぽいですかね
私はHIJOSENというバンドを組んでいて、今年の秋に1st EPを出しました。
「蛹は震える」というタイトルです。
タイトルの意味は色々あるんですが、
ひとつ大切にしたい事は、
私は社会人になった今でも少年であるという事です。
良いとか悪いとかではなくて、ということです。
話が少しそれましたが、EPを出してその記念にツアーに回ろうゼ!という事で、
関西2ヶ所、中部2ヶ所、
計4ヶ所でライブをさせていただきました。
それはそれは大変でした
本当に私は団体行動が苦手でして、苦労しました。
人とペースを合わせて歩くとかが本当に出来ずに、何をするにも効率良くスケジュール通りに行かないとパニックになってしまうので、メンバーにも迷惑をかけました、、
無事に4日間回り切ることができて、見に来てくださった方々や、色々お世話してくださった方々、本当にありがとうございます。
様々な出来事がありましたが、その中でも
3日目の夜、泊まるところが無くてライブハウスの床で寝たのは本当にいい経験でした。
うす暗いがらんとした真夜中のライブハウスに
何やらずっと曲が流れていた気がします。
私以外のメンバーはお酒が入っていたのもあり、割とすぐ寝ていました。
私は不眠症の上、お酒が飲めないのでシラフでした。なので、あまり寝付けずライブハウスの天井を眺めていました。
大きな音で流れる音楽、タバコやお酒の匂い、ライブの後の耳鳴りと疲れ、余韻、
それらが渦巻いているようでもあり、天井や壁の延長に横たわる私の身体はひとつのシミのようになり、一体と化していました。
意識はだんだんと疲れた体から浮遊していき、自由に飛び回ります。
戦争のことや、宇宙のこと、床の硬いこと、過去のトラウマや、メンバーのことや私生活のことなど
全部、全部が私の世界では一大事で、それが苦しみでもあり、時に意味を持って生きる足となるのです。
私の心や魂は、まだまだ成長段階であり、殻の中で流動し、息吹き鼓動する液体なのです。
ライブハウスの床のかたさと完全に一体化した頃、私は眠り、夢を見ずに朝を迎えました。
ーーー
こういったツアーの出来事を全て残しておきたいですが、とても収まりきらないので、その中でも音楽をしていてよかったと思うとても嬉しい出来事があったので、それを書いてこのお話はおしまいにします。
私は大阪生まれで、18歳まで大阪で過ごしました。
音楽を始めたのは18歳で上京してからでした。
大学4年間は大学内だけで音楽をしてました。
大学を卒業してから何組かバンドを組んだりもしましたが、一年も続かず直ぐに解散してしまってほとんどライブもしませんでした。
その後にHIJOSENを組みましたので、実質ちゃんと音楽活動を始めたのは私にとっては初めてでした。
その話は今度時間がある時にゆっくり話せれば良いなと思います。
そういう事がありまして、私は生まれ育った関西でのライブをずっと夢見ていました。
関東から関西に向かう電車の中。
窓の風景が、段々と懐かしい景色になっていく時に、新幹線に揺られて思い出の曲を聴きながらふと過去のことを思い出していました。
今でも思っていますが、私には詩人になりたいという夢があります。
でもあまり詩を楽しむのは苦手で、詳しくありませんしあまり向いてはいませんが。
しかし詩や文章を書くのは好きなので、のんびりと詩を書き続けていきたいと思ってます。
そのきっかけは、小学6年生のとある授業でした。
国語の授業で、『詩を書く』授業がありました。
小学6年生の私は、そもそも繊細な性格や家庭環境なども相まって、多感な子供だったと思います。
詩を書く授業の中で、私は「この胸のモヤモヤを言葉にしてみよう」と思いました。
テーマにしたのは「ひも」でした。
人間関係の脆さや自分のトラウマなどを「千切れたひも」に例えて詩を書いたことを今でも覚えています。
その詩を私の担任の先生はとても褒めてくださりました。
その先生は塞ぎ込んでいた私を大きな優しさで包み込んでくださりました。
その時に、私は詩を書く事で正直者になれることの楽しさを知りました。
そして今までの分からなかった事達が、綺麗な隙間に収まるように整理されていく感覚に感動しました。
それから沢山詩を書きました。
「人を感動させられる詩をかけるよ」と、担任の先生に言われたことも覚えています。
私はもっと沢山詩を書いて、本を読んだりしました。
その先生は今になっても定期的に連絡を取って、お世話になっております。
いつの間にかうたた寝してしまっており、気付けば京都についていました。
その日の夜のライブ、恩師であるその先生はどうしても来れないとのことでしたが、そのご家族の方々が来てくださりました。
そして終わった後、「感動しました」と仰って頂いた時に、私は本当に恩師の言うことを信じていて良かったと思いました。
音楽を出来るだけ少しずつでも続けていこうと、詩を書き続ける意味をまた見つけました。
ライブが終わって夜の京都の街を散歩しながら、またこうやってたくさんの人と出会い、たくさんの景色を見ていきたいなとそんなことを考えていました。
そして沢山の詩を書いていきたいと思いました。
私は、小学6年生の頃から根っこの部分は何も変わってない気もします。
やはり私の心はまだ蛹、羽ばたくために震えているのです。
ーーー
ここには書いてませんが、神戸も名古屋もたくさんの人と出会い、たくさんの素晴らしい景色を見ました。
なのでその話は、会ったときにでも話しましょう。
もう今週末になりました。
ツアーファイナルです。
2022/11/05 土曜日
東高円寺UFOCLUBです。
是非来てください、待ってます。
これからのことやこれまでのこと、全部大切にして懐かしい話や希望の話をしましょう。
「私、生まれて初めてのツアー」
2022/10/31
塚本龍太郎
写真はsone recordsにて
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?