403号室
「ありふれた生活やありふれた人生は幸せか?」
学生の頃、何度も友人達と語り合った。ただあの頃は責任や世間の目や、ややこしい手続きなど何も知らないただの子供だった。
そういう意味のない時間を費やして大人になっていく。そういう筋書きになっている。
誰しもが仕事の愚痴を言いながら、朝が来れば、昨晩の夜更かしを呪い、出社する。友人や世間の同世代の人たちとの収入の額を気にしながら給料日を楽しみにしている。
そういった会社員を下に見ている夢を追いかけるフリーター。安い居酒屋で哲学を語っては、嘔吐して眠る。
そしてそれを冷めた目でみる会社員。これもまた安い居酒屋に行きつき、仕事の愚痴を語っては、嘔吐して眠る。
私たちは同じ人間だ、夢があろうがなかろうが、金があろうがなかろうが、多くの人間は週末の夜になると嘔吐して眠る。
そうやって殺伐とした寡黙な戦いを行っているのだ。自分の安心の為に。
昼下がり、外の雨音が聞こえないほどにたばこの吸える喫茶店はそんな連中で騒がしい。
私は残り少ない昼休憩の時間も確認し、「人間はなんでも吐き出したい生き物なんだな」と考えながら、休日のルーティーンである美術館や展示会巡りの情報を収集していた。
平日の昼は、会社員かフリーターがメインな客層なのだろう。私は今の会社に入社する前は、画家になりたかった。
「夢を追いかける」という事は自由であり、その自由にひどく縛り付けられる。それも毎晩。
私はその重圧に耐えきれなかった。だからこうしてスーツを着て昼休憩に珈琲を飲み、少しの休憩を味わっているのだ。夜も前よりは眠れるようになった。
まあそれは綺麗な言い訳で、自分の才能や実力のなさ、運のなさ、戦略のなさ、自分へのあまさ、その全てをいまだに認められない。
堅実なサラリーマンにも夢追い人にもなれない、そのどちらも見下してしまう弱くて最悪な私だ。なにが幸せか。何を望むのか。。。
休憩は終わり、また仕事に戻る。
そして19時になり、今日はなんだか疲れたので、「そろそろ帰ります」と上司に告げて会社を出た。今夜は昼間の雨がすべて流してしまったみたいに月の明るい夜だ。
こんな夜は大抵決まって、妙な出来事に遭遇する。
帰りの電車の中、満員電車にうんざりして今日はバスで帰ろうと、途中の駅で降りた。
普段降りない駅に浮かれた私は、古本屋に立ち寄った。昔から古本屋が好きで、何かあるとふらっと立ち寄る。
何かお目当ての品があるわけでもなく、ただ売られた本たちを眺めている。落ち着く理由もわかっている。どこか自分自身を重ねているのかもしれない。
捨てられたわけではなく売られた。また誰かの手元に渡り、読まれ愛される時が来る。ひっそりと、主張せずにその時を待っている。
誰からも知られない物語もあるのだろうか。
少なくとも本は読むもの、読まれてなんぼだろう。私の幸せは生きること?生きてなんぼだということでもない。いや、それが正しいのか?
結局何も答えのない問題の証明をしようとしたが最後、迷路に迷い込み途中でエスケープをしている。
そんなことを考えながら知らない小説を眺めていると、本屋の机に置いてある一枚のフライヤーが目に入った。
なぜだろうか、RPGで必要なアイテムのように強く主張しているように感じた。
どうやら最近注目を浴びている版画アーティストの個展が、ここの近所でやってるみたいだ。
確かに注目されることもあって、前衛的で今までの版画の印象から少し離れている作品の写真は、興味を惹かれるものだった。
昔好きだった本が、「百円セール」のワゴンに雑に置かれているのを横目に古本屋を出た。
雨上がりの夜のにおいは、夢の中のにおいに似ている気がする。なんてことを考えている。
まだ地面の水たまりが、帰るのを足止めしているようだった。
ふらふら歩いているとさっきのフライヤーの個展がやっている。
小さなギャラリーには、人が集まっている。光に集まる虫のように。
私もその一匹となり、光へ飛んでいく。
その光の中心にいたのは、私と変わらない歳の女の子だ。
彼女は、何やらいかにも「大人」な人たちや、奇抜な格好をした「芸術家」達に囲まれ、作品のことを話している。
輝く光に、大きな羽をもつ虫が飛んでいる。
作品の前には、若者だけでなくおしゃれな主婦や髭の似合う年老いた男の人が、真剣な表情でたたずむ。
私だけが蜘蛛の巣に引っかかった様な面持ちで作品を見ていた。
作品たちは素晴らしい。表現したいそのエネルギーが整えられずにむき出しになっている。その熱量にただこっち圧倒されてしまうような。
すると、その作者の女の子が「ありがとうございます!」と声をかけてくれた。そして「この作品は~」と凄く愛嬌のある彼女は作品の話を始めた。
その話は私には届かない。いや、強い光は半透明な私を透けてゆく。
私はなぜだか夢を追いかけてた頃の自分を重ね、黒く濁った二つの影がじわじわと照らされていくような感覚だった。
とてもいたたまれずに内側から悲しみがやってくる、だが今の自分を愛せるようなそんな暖かい気持ちになった。
彼女は説明が一通り終わると名刺を渡してくれた。そしてまた違うお客さんのところへ。
私はギャラリーを出た。
光から暗い帰り道へ歩き出す。水たまりは街灯をうつす。
そのうつされる街灯は半透明な私の様だった。
生きていくという事はそういう夜の積み重ねなのだろうか。夜風は心を揺らして去っていく。
家に着いた。
いつまでもこの日々が続いていく。その怖さから目を背けていたが、その正体は全く違うものだという事に気づいた。
退屈な自分からは退屈な毎日が生まれては、死んでいき、その日々の死体の上に後悔が座っている。
私があの頃住んでいたアパートのあの部屋には、建付けの悪い網戸から気持ちのいい風が吹いていた。
その夜、仕事で使う資格の本をネットで買った。あと、「初心者におすすめ」と書かれたペンタブも。
今夜は網戸から気持ちのいい風が吹く。
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