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匙とスプーン

木製のスプーンで食べろ!と強要する店があった。
人形町にある某・〇〇丼の老舗店であるが、私は和食は箸で食べたい派なのでスプーンを拒み「箸をくれ」と言ったら、「ウチはこういう食べ方なので」と拒否されたのだ。私はあり得ないと思った。

結局は、どこかから割りばしを出してきたが、せっかくの丼が冷めてしまうし、気分も醒めてしまうし、そのくせ値段は老舗料金で高いしで哀しくなってしまった。

そもそも私は、オムライスとカレーやハヤシライス、汁物のスープ類やシチュー以外の食べ物をスプーン等で食べることが理解できない。いつ頃から丼物をスプーンで食べるようになったのかは分からないが、昭和の時代には無かった現象なので平成に入ってからの現象であることは間違いない。

推測するにTV番組で大食い選手権が始まってから暫く経ってのことではないかと思えるが、別に我々は大食いするわけではないのだから、普通に「和食は箸を使って食べれば良い」と思う。
私の個人的な感性であるが、ご飯もの、それも和食をスプーンで食べる人は、傷害があり箸が使えない人か幼児以外は、行儀の悪い人だと見えてしまうので私は嫌いだ。

そういえば何故か、ラーメン屋でスープを飲むときはレンゲを使うけど、ラーメン二郎では私はレンゲを使わない。そもそも三田本店にはレンゲはないので、レンゲを置いている他のラーメン二郎〇〇店は邪道だと思っている。
箸と己の気合だけで食べ切るのがラーメン二郎であり、スープはレンゲなど使わず、丼からそのまま飲むのが店主への礼儀だと思っている(笑)

炒飯はレンゲを使う場合と使わない場合があるが、確かに中華はレンゲを使うことが多い食べ物だと思うので、和食でない中華や洋食に対するレンゲ・スプーン・匙の使用は、それが中華や洋食の作法であるなら拒絶感はない。単純に和食では、傷害があり箸が使えない人か幼児以外は使うな、ましてや丼物をスプーンで掻っ込むなと言いたいだけである。それが和食への礼儀であろう。

これは単に、脳の高齢化による発言なのだろうか?
しかし私は小さい頃から和食の作法を重んじてきた。よって茶碗蒸しで匙を使うくらいで、その他の和食でスプーンの類を使うことなく育ってきたが、私たちの年代ではそれが普通の日本ではなかっただろうか。
#note   #エッセイ   #高齢者   #フリーター   #役立たず
【記】やく・たたず(屋久 佇(竚))

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