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80歳おばあちゃんの愚痴

或る高齢者の愚痴を聞いた。
「夫は働かず、家にお金も入れないので、全て私が働いて家族を養って来た。仕事なら何でもやった。子供らも二人とも大学に行かせた。学費も私が払った」
その高齢女性の話を聞いて、極端な話ではあるものの、随分頑張って来たんだなぁ、素晴らしいなと思ってしまった。

選挙票を得るためか、色んな手当を出し放題の日本の社会はどうなんだろうか?といつも思う。公的な手当も、補助などなくても、今までの昔の人々は皆、自分で頑張ってやってきたのではないか。今の若い人々は補助金ありき、手当ありきで過ごし、さらには〇〇無償化を叫び、何故そのくせ減税を言うのだろうか?

社会保障が必要なことは当然分かるが、最後の手段が最後になっていない。我々の昔から比べたら優遇の社会である反面、自分勝手なお金を使い過ぎて自己破産に逃げ込む輩も増えている。何となく全てが悪循環であるような気がする。貰えるものは全て貰うという姿勢には、工夫をするとか賢い節約をするという思考が全く見えない。

私自身は貰えるものも貰わずに、社会のお金を無駄にせずに生きて来たところがある。若いときはそれでも何とかできるものだ。逆に工夫して生きる知恵が出来る。
年老いて身体も動かず働けなくなったときの保障は最低限必要であるが、それ以外は最後のセーフティネットの存在であり、自分の感覚だと公費はなるべく使わずにおくものではないかと思ってしまう。

選挙票を得るための無駄な手当てとか、支援とか、補助とかなど、結局は将来の人に借金を残すだけの負の遺産でしかなくなる。本当に必要なときに使うお金がなくなってしまうだけだ。まぁ、それを分かった上で〇〇支援とか、手当とか、補助とか、無償化とか・・・を要望するなら、将来の日本を作るのも崩壊させるのも今の若い人々(30代~40代世代)なので、やむなしになってしまうのだが。

若い人々には何かに頼ったり、おねだりしたりする前に、自分の頭でちゃんと考える人になって欲しいと思うのは、老害だろうか??
#note   #エッセイ   #高齢者   #フリーター   #役立たず
【記】やく・たたず(屋久 佇(竚))

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