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卒業と後悔

卒業シーズンである。私のインスタグラムは一個下の後輩達があげる高校卒業に関しての投稿やストーリーで賑わいを見せている。ついこの間私たちの学年が卒業した気でいたのに時の流れというのは早いものである。彼らに対しておめでとうという気持ちよりかは私が大人にならなくてはいけないと言われているような、そんな焦燥感やプレッシャーを感じて、心を無にしてストーリーを左スワイプしていた。そこで私が見たのは、私と同様の焦燥感からか後輩達について揶揄する同学年の子の僻みの籠もったストーリーだった。それは関係のない私でも傷つくような語気で鬱憤が並べられていた。私はそれを見ながら、小学校の卒業式のことを思い出していた。古傷が疼くと言ったところだろうか。

卒業アルバムには大抵、生徒間で統計を取ったクラス内ランキングなどのカジュアルなコンテンツを載せたり、最後のページは白紙になっておりそこに仲の良い友人達でメッセージを書き合ったりするものだ。しかしながら私の名前はどのランキングにも載っていなかったし、最後のページも白紙のままどころか一緒に記念写真を撮る友人もろくにいなかった。実は私は六年生の三学期にクラスメートから集団シカトに遭っていた。それも自分で蒔いた種であった。

私にはとても人のできた友人がいた。自分の損得勘定では無く相手と自分の幸せのために正直でいられる人だった。馬鹿正直なあまり嫌われたり、ダサいやクサイと言われる言動もあったがそれでも私は大好きだった。そんな友人には腐れ縁の同級生がいた。幼少期からの犬猿の仲である。自分の損得勘定で動く八方美人な、それと同時にクラスメートからは一定の人気を保っていたまるで友人とは正反対の人だった。そんな二人と塾が同じだった私は双方と仲良くいようとした。ありのままの私でいられたのは友人といる時だったが、彼女と過ごす時間はとても刺激的だった。しかしながら、両方とも私といるときは一方の悪口を言ってくるものだから小学六年生の私にスルースキルなどあるはずも無く、仕方なく頷くしか無かった。嫌われる勇気の無い弱い私にはそうするほか無かった。気付かぬうちに私が八方美人になっていたのである。

その生活に嫌気が差した私は、二人が大喧嘩したのをきっかけに話し合いをさせたのだが、そこで私が双方にいい顔をしていたことがバレてしまった。次の日に問い詰められた時にはもう弁解の余地は無く、友人には見捨てられ彼女にはクラス全体に噂を流されあっという間に集団シカトは始まった。教室に居場所は無かったし、辛いのと後悔とで精神的に不安定ではあったが卒業まで後少し、と一日も休むことなく卒業の日を迎えたのである。そこでもらった卒業文集に載っていた友人の言葉を私は一生忘れないだろう。確か文集のテーマは尊敬する人物だったと思う。友人の作文はこう始まっていた。

「私には親友がいた」

読み進めていくとそれは確実に私のことを指していた。そしてこう続いた。

「信じていたのに裏切られた」

友人の作文は私を尊敬できない人物として例に挙げ、そんな人にはなりたくないと締め括られていた。ずんと大きな岩が私にのしかかった様な、言い表せない後悔と取り返しのつかないことをしてしまったと。何より友人を私が想像していたよりも深く傷つけてしまったと心の中で何度も何度も謝った。直接謝らなければと幾度にも渡って話し掛けようとしたし、実際話しかけてもみたがとうとう言えず、中学校に入学する直前になってメールで「ごめんね。」と一言送った。ごめんねだけでは足りないと何度も考えたが私の気持ちを伝えるための言葉はその一言以外知らなかった。友人は「いいよ。」と返してくれたし、今でも親交はあるがこの後悔が拭えたことはない。自分がシカトされたことは仮に思い出したとしても、そんなこともあったなと笑い話にできるが友人を傷つけたことだけは昨日のことの様に、記憶のいちばん手前にいつだってある。私が今尊敬する人を挙げるとするならば、彼女のように損得勘定無しに相手と自分の幸せのために正直でいられる人と答えるだろう。

そしてあの日から私は誰かを傷つけるくらいなら自分が傷つく方がいい、と思う様になった。誰かを傷つけた記憶は消えることが無いし、その苦しみや後悔以上に相手を傷つけたのだから。

私は今でもインスタグラムで友人の姿を見かけては心の中で謝り続けている。その同学年の子が私の様にならないといいのだが。いや、まずそのストーリが後輩の誰にも見られていないことを祈りたい。

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