無題0

経済含め、日本はその文化的性質上、世界の歪み縮小の旗振り役を担うべきポジション

2019-10-003
日本の現状への悲観的見解に関するスレに投稿した内容


対日本であれ対世界であれ、その歪みを縮小させる取り組みは、
自由についての観念(内在不問外在軽視が標準)を改めない事には小手先です。
場の代替不可能な性質のみ引き受ける在り方(資質や局面次第では上の歪みの縮小試みとして具体化)を、
場に振り回される程度の最小化、つまり、自由と捉える人をまず増やしましょう。

例えば競走で、問われるべき差異が正確に取り出された結果なら、その受容に泣き寝入りはありません。
場で問われてる事を違えないという存在戦略の一般化を倫理、場の本質に即した割り振りの保障を正義、
そう解せば上の人が増える程、
場の本質に即した扱い(着目無視や損得)を支持する(フェアな)者のみ参加可能なプラットフォームの、
様相に経済が近づいてく、つまり、経済が倫理化されます。
それ(理想)を犠牲にする程度を条件上の最小に抑えつつの現実受容として、外向きの推奨もあるべきです。

また、極日常的に個々人が場に即した役回りを引き受ける日本は修正が、
場の表層でなく代替不可能な固有性にのみ合わせるという一ステップだけで良い、
つまり、上の理想に対し最短距離にいるので、むしろ旗振り役と思います。
先の改めた自由観を、対有限性(内外境界の存在)はいらぬ飛躍を取り除くだけとの方針に抽象化し、
抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究と、着目無視を場の本質に即させる配慮との相補性から成る、
場の本質にしか応じさせない態度の実践(いらぬ飛躍の除去)の対象に、
概念や種々の前提をとれば哲学すら欧米に先んじる事も可能なはずです。
実際、理解は対象に関する抽象と具体の関係構造を確立できた感に過ぎません。
教育には加えて、捨象(同種の他との差異要素と共通要素、どちらを無視するか)や、
資質と環境の関係(獲得能力、ひいては、できるできないの妥当性に関わる)、感情と理性の関係も対象とするよう求めましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。