無題0

深浅によらず哲学に接するなら、欧米(世界の現主導者)の知的枠組みが持つ偏りを見出し、社会生活の健全化への道筋を見る際の精度に生かしてほしい

2019-11-011
哲学の内実に興味を持つ若者スレへの投稿内容


我々の思考や知識獲得について、限界やその乗り越えを知的枠組みレベルで検討する場合、
知的領域を主導する欧米が持つ枠組みの性質把握は不可欠ですが、
知性と倫理が表裏、少なくとも一方の偏りが他方に響く関係なら、知的枠組みを改善した人の数次第で、
社会生活の健全化(自他への不当な扱いの発生低減)も期待でき、やる価値はあります。

場に合わさない(絶対)と合わせる(相対)の対比を見出したら場の本質にしか応じさせない方向に舵切る、
(抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究、問われるべき事と捨象の合致配慮、この相補的両者で為す)、
この方針欠けば、一方に振れたり揺り返しは不可避です。
カント(やプラトン)が示した分離での双方を、場に置かれ加工される前後の関係と捉え直すと、
分離への無化志向が今なお見られるのはその方針の欠如故ですし、ヘーゲルへの揺り返し時の、
実質質不問(飛躍不問)な動性志向はそのままの体系化(の作用の)拒絶
(林檎は数えられるが蜜柑はできない的状態で数を数えられるを満足してる形の実存を持出す事含む)にも、
問われるべき(場の本質)を違えない類の論理や整合性追求から矮小化してる点
(主語を包摂する概念を問う問いが、一問い以上の扱いを受ける誤謬、場の越境は最初期から)
はそのままの領域限定にも同じ事が言えます。

物質事情や実践局面への単なる外在場性質以上の価値付けによる領域限定(ヘーゲル的動性は保存)、
対応関係に厳格さを求めるアプローチによる領域限定、それらだけ見ても、
揺り返しな解決センスが欧米、ひいては人類の功罪に深く関わってるのは明白と思います。
いずれにせよ、深浅によらず哲学に接するならそこから欧米の偏りを見出し(倫理面は宗教系も経由)、
欧米的枠組みに対して、余裕や実力の不足からのやむ得ない受容に限るという距離(無理ない独立性)をとる際の精度に繋げてほしいです。

ご支援の程よろしくお願い致します。