見出し画像

世界を質(搾取可能状況の保存程度)的に変える為に、文系者に押さえてもらう必要あるだろう話について(リベラル、リバタリアンの抱える不自由にも触れつつ)

2022-9-001

通用の行き渡ってる状態を保存しつつの表層形変転(論理展開なり歴史展開なり)が理系域全般で期待できるようになったのは確かに画期的な事でしょうし、近代の偉大な功績と言える一方で、

肥大化した問題意識(損得や意見選抜とのフェアを越えた関わり方など)を取り除く処理が前提になってない為に、
文系事象に関するそれが期待できない文系者に対して、疑問が持たれない状況は変わってないと言えます。


つまり、世界の有り様(現状は、搾取可能状況の有無に鈍感)を質的に変えるのを妨げるものとして、
表層形のみをもって断罪する次元の外に出ない有り様(不当な扱いの受け手を自身のみから他者や無生物、概念等にまで拡張できてない抽象不足による、
負わせるに値しないものの発生に対する鈍感さ、ひいては、対内在や対外在でのそれが現象解釈の精度を下げる、帰属の修正余地のなさへの志向の弱さ)があり、

場に合わせる合わさないの表層形二択に話を矮小化する(場の疑似化してない固有性にのみ合わせる方向性を埋没させる)知的権威は、
その意味で有害な存在(内実不問に、ひいては、帰属の修正余地の有無不問に誘導する存在)と言えるように思います。



ところで、近代以降の世界は、
同種の他との差異要素の捨象アプローチの領域侵犯、共通要素の捨象アプローチの埋没(客観視で捨象されるものを理系版と見た時の、文系版に相当するものが捨象される処理の不在)、

これらから成るパラダイム(対文系での内実不問からくる不自由、つまり、対文系では、
次元設定自在性という人間性を、次元設定の局面への紐づけ精度に生かせない持ち腐れ状態、
むしろ人間である自身が人間の形式に振り回されてる状態に落とし込まれる枠組み)に今なお縛られていて、

リベラルは不当合理と言える前者の側面を体現しており、
リバタリアンは不当合理への反動反発(内実を確からしくしないままの反応である表層形反転)でしかない過剰特殊と言える後者の側面を体現していると考えます。


ここで、カントとニーチェは、割り引き不可避(理想の切り捨て)な認識観と割り引き拒絶(現実の切り捨て)な実践なり実存なりの点では重なりつつ、
リベラル的かリバタリアン的かの違いを持つと解すれば、次が言えるのでないか

(内在事情外在事情の代替不可能な要素にのみ応じているいないと関係のない自由観が持たれてる時点で、
概念はじめ、対象の有り様を帰属の修正余地のない形で捉える能力は、少なくとも十全には機能してないわけで、
その機能不全の産物である現世界が変わる為には、文系者に次の話を押さえてもらう必要があるのでないか)と想像しました。



カントの流れを汲むものは、場の立場では場に合わせる事を(合わせる対象が、その場がその場である限り持たざるを得ない要素だけから成ってるかどうかと関係なく)強いる、
かつ、場に置かれる立場では場に合わさない態度(検証実験を経てない仮説に相当するような在り方)を固持する有り様を、
不当合理の枠組みの下で展開し、何らかの側面が洗練された結果のもの、

ニーチェの流れを汲むものは、同有り様を過剰特殊の枠組みの下で展開し、何らかの側面が洗練された結果のもの。


それらに権威を覚えてしまう(場の管理者ポジションと場に置かれるものに対して、
場の上に立ち上がるものを帰属の修正余地のない現象とすべく、場の疑似化してない固有性の発現保障をそれぞれの立場から目指す協力関係を取り結び、
相手側に対するその観点からでない肯定を過小要求、同否定を過大要求と位置付けるよう求める主張への、却下可能性が高まるのに)のは、

次の理解(前半はプラトンの提示に対する解答、主語述語関係に関しては論点修正に相当し、後半は対近代で押さえるべき点に相当する)の不在故。


理想と現実の関係は、
何の限定も受け入れてない段階のものの準備、それが引き受けざるを得ない限定条件の割り出し
(前者の何を残すかの選抜精度に関わるのに、場に合わせる合わさないの表層形二択が直接的に阻害してる部分がここで、

その阻害により、認識場で言えば、ある場が他の場の性質の越境を事実上受けてるようなものであるにもかかわらず修正されない事態を、
観点が持ってしまい、自己が存在するのと引き換えに持たざるを得ない類の都合以上のものを対象に負わせてしまう)、

これらの最大限化の意味での、抽象化具体化の精度最大化の帰結である時、割り引きは最小化されてる、
つまり、有限の与件性(何かしらの具体化条件を負わなければ現象しない世界)の下での通用領域最大化(確からしさの現状での上限)が達成されてる為、

限定の前後が通用の行き渡ってる状態を保存したままの表層形変転であり、限定後は選ぶに値するものと言えて
(主語の切り出しや主語述語関係にも、ひいては、対象理解にも同じ事が言える)、


理系的局面では同種の他との差異要素の捨象アプローチでないと、文系的局面では同種の他との共通要素の捨象アプローチでないと、

確からしさ差に相当する差異の取り出しに失敗(実験の条件設定に失敗してるような事態)してる捨象でもって、
抽象化具体化(この交互反復である表層形変転)を展開してしまう為、選ぶに値しないものに帰結する

(逆に言えば、局面と着目無視との合致への志向や不一致への敏感さが、それでもなお残るものを埋没させる肥大化した問題意識による、
負わせるに値しないものの押し付けについて生むのを防ぎ、取り合わない生を可能にする)。

ご支援の程よろしくお願い致します。