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過去を咎められた際の脆弱性を塞ぐ方法について、時事への反省と絡めて(付け足し有り)

2020-7-001
アメリカの過去に関するスレへの投稿内容:


過去を咎めるという行いが、
アンフェアな願い実現の黙認、支援を内実とする似非反省、反動的反省の圧力と化してても、
自己の非の自覚が自他へのフェア化働きかけに繋がる償いルートを確保できてれば脆弱性は塞げてる形です。
逆に言うと、アメリカ各地や香港の現惨状も、そのルートが潰れてた(善人であろうとしてる人達すら、
誰もがフェアな扱いしか受けない世界へと向かうそのルートを確保しなかった)が故と見なせる上、
別の形で繰り返され得る以上、フェア化と無縁である、近代的な権利観や素朴な救済観を野放しにしてきた、
量的な派手さもフェアの帰結に限って肯定するという手綱を求めてこなかった全ての人に非はあるはずです。

なのでまず、そのルートを切り開くべく、フェアを越えては助けないスタンスを対自己でも貫く事により、
フェアに選抜をする能力(取り上げの精度)を保ち、自分の悩みや苦しみの過大過小を、
自分で抑える(ある種の救済であり、糾弾部分修正部分の適正把握による罪回避の側面もある)必要、つまり、
問われるべき事(その場その場の本質)と着目無視との合致の下で為された割り振りへの支持(フェア)や、
取り上げ価値を場の本質に即してる状態感に立脚させる方針を、解決への願いや支援に先立たせる必要が、
個人レベルでも、個々事情の総体のレベルでもあったのだと認めましょう。
(ものを数える時はじめ、局面に合わせた捨象処理は善人であろうとしてるしてないによらずこなされるので、
フェア化自体は、場の性質の下の平等追求と場の性質把握の確からしさ追求に関する阻害要因除去に過ぎないはず。)

また、有限性は所与なので、理想は割り引かれざるを得ない事(加工の不可避性)も認め、
加工を、何ら加工されてない状態も一方で最大限追究(場に置かれる前段階に対する検討)しつつ、
場の代替不可能な固有性に紐付ける(場との齟齬の解消、形式や帰結への場の本質を損なわないよう組み上げる配慮)、
この抽象化具体化処理(抽象と具体の行き来が歴史性)の機能不全をこそ咎めるべき(その解消以上の事は無理)とし、
(近代性も、固有性把握に必要な、差異形パターン網羅志向下での同種の他との共通要素に対する捨象を、
差異要素捨象に励んだ煽りか、埋没させてきた点は糾弾対象)
機能不全の解消(表層的な理念使用による阻害を除去すべく概念やパラダイムに対しても機能させにいく)や、
解消されたところで受ける扱いは場次第な為その場その場での妥当な扱いへと、
持ってくのに必要なものとして、自他へのフェア化(局面の性質に合わせた捨象対象の使い分け含む)働きかけを位置付けましょう。



以下、中国関係のスレへの再投稿に際し冒頭として付け足した部分

どんな個人、国であれ、場(内面世界や自国社会、局面等)の本質を損なっていない形式、帰結の組み上げに、
より近付ける余地がまだあるなら、修正余地を持つ対象と捉えるべきですし、
恩なり加害なり借りがあるなら、その修正支援を負う(上の組み上げは越えない)だけの理由が、
少なくとも特段の関係持たない者に比して、生じてると捉えましょう。(以上を覆うようなら善悪付けも有害)

ご支援の程よろしくお願い致します。