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国連含め、人権主権で現実回してくシステムに必要と思われるテコ入れについての考察

2020-1-004
国連に関するスレへの投稿内容:


人権保障を柱の一つとし世界を律する立場の国連が、常任理事国の権限を行使する中国の、
世界的に周知な現在進行の民族浄化に無力な状況は、中国の大規模なフリーライダー状態と、
非武装偽装者による支配の整地も同然な非武装平和推進のような、綺麗事の危険性を示すだけでなく、
戦後欧米での主要な倫理圧力の一つ(ナチスの絶対悪扱い)が、
ご都合主義な倫理操作の一環に過ぎない事実も浮かび上がらせてます。
そんな欧米的倫理を権威扱いする機関や国の為す押し付け、断罪への盲信は横暴の放置と言えますが、
それらに批判的態度をとるにせよ、問題点を正確に押さえないと、
反動反発(有害まである)で満足してる形な為、以下の理解を押さえましょう。

ユダヤ教の批判的研究の成果(博愛精神や非攻撃性)の社会実装は、
求め続ける者や非攻撃性偽装者の存在如何で社会を不健全化しかねない、
この事実へのテコ入れでもあったろう中世的変容も、
その変容の弊害を最終的に解消したデカルトホッブズの仕事や、
主体像の明晰化の帰結である人権主権で現実回してくシステム(国連もその一種)も元々の問題は保存。

近代(内外分離、干渉克服で満足する問題意識の展開)やその産物(国連含む)への批判は、
大騒ぎか見て見ぬ振りの二択(優劣への過剰反応の誘因)や、
場に合わさない絶対性か場に合わせる際の対象を代替不可能な固有性に限定しない相対性の二択に、
留まってる(場の本質に合わせるという両者否定の選択肢が実質ない)、
という近代以前からの問題も視野に入れないと表層的。

フェア(場の本質に即した扱いへの支持)を越えては助けない、かつ、
場の本質(問われるべき事)を損なわないように形式や帰結を組み上げる能力を管理者要件とする、
(ドーピング選手は問われるべき差異の取り出しを阻害し、拘る対象を茶番化する質を欠いた関わり方)
つまり、場の本質に即した扱われ方をもって人の望ましい扱われ方を謳う他の例を、
端的にはフェアで愛や許しを、律するテコ入れが人権主権システムにも必要。

ご支援の程よろしくお願い致します。