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【感想】兵庫県立横尾忠則救急病院展

入館するやいなや、白衣の女性に検温と問診票の記入を求められる。

まだチケットも買っていないのに、すでに私は病院にいる。
まるで入る扉を間違えたかのように、唐突に。
作り込まれた空間に、有無を言わさず連れ込まれたかのように、強引に。

と思いきや、非接触型の検温マシンは、コロナウイルスの感染防止対策のために。問診票は、美術館の利用者にコロナウイルスの感染者が発生した場合に、感染者と接触した者の履歴を取るためのものだった。
万一感染者が出た場合、この問診票に連絡先を書いておけば、県から情報提供があるという。
兵庫県立横尾忠則救急病院」と銘打たれた問診票。

すっかり、驚かされてしまった。
2020年夏の日本で、どこの施設でも当たり前に行っているコロナウイルスの対策が、『横尾忠則救急病院展』という展覧会のテーマと、妙に親和している。
親和しているというよりは、展覧会側が、コロナをうまいこと食ってしまっているという印象だが。
なにせここは、横尾忠則氏の美術館だ。

館内は徹底して、「兵庫県立横尾忠則救急病院」に装われていた。
これは実際に訪れて体験するのが一番だと思うので、具体的にどんなところがどんなふうだった、ということは書かない。
(youtubeのキュレーター・トーク動画でも展覧会の内側を観ることは可能。
でも、この空間に実際に踏み入れられる方は、そちらのほうが断然におすすめ)

スタッフから手渡されるもの、館内を巡り歩いて目に入るもの、作品の置かれている辺りの様子、あらゆるものが病院の姿をしている。

時折聞こえてくる救急車のサイレンすら、展示上の演出なのか、本当に外を走る救急車の音なのか分からなくなってくる。
展覧会のはじまりとおわりの境目が分からなくなる、あの検温マシンのある入り口みたいに。

病院。
病や老いや死のにおいが集う、負の場所だ。
しかし、「横尾忠則救急病院」に並ぶのは、横尾氏のエネルギッシュな作品ばかり。
たとえ死や老いをテーマにしていたとて、氏の筆のエネルギーがそれを凌駕している。
しかし、氏の筆は、死や老いに抗うための強さでもない気がする。
いやむしろ、死や老いを受け入れるための筆なのか?

私たちはいつも、病や老いや死を、できるだけ隠して生きている。
病や老いや死が集中する場所である病院であっても、そうだ。
病や老いや死の匂いは、消毒液や医薬品の独特のにおいによって滅せられている。
病人の死の気配は、高精度の機械に常にモニターされている。
人の正気はいつか失われ、人の肉体はいつか腐って朽ちる。という事実を、できるだけ見ないで済むようなつくりになっている。

けれども、病や老いや死は、見ないで済んでいる、ただそれだけのもの。
見ないで済んでいるから見えていないものを、敢えて描き出す。
「兵庫県立横尾忠則救急病院」の作品は、そんなことを訴えているような気がする。

そういえば、「この展覧会は、現実感があるな」と思った。
現実感とは。もっと解像度を上げて言うと、見て、聴いて、肌で感じ取っている実感があるということだ。

展示されているのは絵画が中心で、作品に直接手を触れることはできない。
それなのになぜだろう、私は全身の感覚が、ちゃんと感じる仕事をしているように思える。
こんなことは久しぶりだ。

そう、久しぶりなのだ。
コロナウイルスの影響で、仕事もせずにずっと家にいた私は、外の世界との接点をほとんど失っていた。
夜や土日に家族と会ったり、最低限の買い物に行ったりはするが、そこで起きる出来事は限られている。

外の世界で起きたことや、家族以外の人間の話は、基本的にネットを通じて入ってくるもののみ。
私は、ずっと液晶越しにしか、自分の外の世界に触れていなかった。
生身の人間、生身の経験に乏しい生活をしていた。
液晶越しに得た情報をだらだらと流し見したり、一人頭の中でこねくりまわして時間をつぶすだけの日々だった。

あれ?
私、それでちゃんと生きてたんだっけ?

「兵庫県立横尾忠則救急病院」の作品たちが持つパルスの大きさに、私は、精神の脈が止まってしまっていた死者だったんじゃないかと錯覚しそうになった。
「兵庫県立横尾忠則救急病院」の作品たちに、感染症予防の自粛生活によって機能停止に陥っていた人としてのなにかを、蘇生されたのかもしれない。

おそらく脳のいずこの、理性や理屈を超えたあたりのところへ、横尾忠則救急病院にて昇圧剤を少しずつ少しずつ投与され、私は目覚める。
はて、なんで生きてるんだろう。
この数ヶ月、じっと自室とネットとの往復で、いったいどんな世界を生きていたんだろう。
まるで生きてるつもり、生きているごっこの数ヶ月だった。

横尾忠則現代美術館は、2020年8月30日まで「兵庫県立横尾忠則救急病院」として開院している。
あらゆるものが病院の姿をしている館内に、医者も患者もいない。
ただ、人間のなにが健やかで、なにが病的であるかの診断基準を、「兵庫県立横尾忠則救急病院」はおのれに問うてくる。

兵庫県立横尾忠則救急病院展
公式HP:http://www.ytmoca.jp/exhibitions/2020/02/hospital.html

【余談】
「横尾忠則救急病院」の病院風に整えられた空間、好きな人は本当にときめいてしまう空間だと思う。
私は30代前半なのだが、私たちの世代が10代の頃、医療系のモチーフが、一部の陰鬱な趣味の者に好まれていたような覚えがある。
当時を淡くまばゆい青春として、活き活きと過ごしていたタイプの方は存じ上げないかもしれないが。
そういうタイプの同級生が、ファンシー雑貨屋で326のイラスト入りグッズを買う裏で、私のような根暗は、注射器やら十字架やらのモチーフのグッズを買っていた。
ちょうど、椎名林檎が「本能」のPVで看護婦姿でガラスを割っていた時代のこと。
というわけで、そういう時代に「病院モチーフフェチ」を感性のうちに身につけてしまった方には、ちょっと心が躍るかも。
中2病の心は三十路超えても死なず。

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