美しい文章を編むことを楽しみたいのか、たくさんの人に読まれる文章を書きたいのか、分からない
noteを始めたのはそもそも休職中の手習いだった。
半年前の私は、仕事に心身のエネルギーを全て食い尽くされてもうすっかりボロボロの心身に、「生活のため」「責任」という現実的な道理だけをぶちこんで燃やして騙し騙し働いていた、動く屍だった。ホラー映画に出てくるような、悪役に妖しい呪術をかけられて蠢き出す死体のような働きぶりだった。動く屍には、仕事を数ヶ月休養せよという医師の診断書が発行された。
しかし、騙し騙しでも動くことだけはギリギリまで辞めなかったぐらいの屍だったので、身体の方が少し回復した途端、休んでいたら休んでいたで、休んでいるなりの何かをしなければ勿体無いという焦燥感に駆られた。
そこで行き当たったのが文章を書く、という行為だった。動く屍がかつて生気に満ちていた頃、小説や詩といった言葉を生業とする人々に、文章の才を褒められることが幾度かあった。シゴトシゴトと苦悶に呻く屍は、生きていた頃得意だった言葉を綴ることを思い出せば、もう少しまともに復活するかもしれない。
そこで文章を書く場所にnoteを選んだのは、まず単純にエディタが使いやすかったこと、あと10年以上応援している松永天馬氏が日記を連載していること、程度の理由しかなかった。テーマもコンセプトもなく、ただ書けそうなこと、書きたいことを、ぼちぼちとnoteに打ち込んでいくことにした。
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休職中の私に退職を勧めてくる人も多かった。それほど屍は酷い有様だったのだろう。しかし、転職が難しい業種であることと、経済的な安定を失うことが恐ろしく、私は手放して退職を選ぶことができず、迷い続けていた。俺が配偶者として君の生活を保証するからと婚約者が何度説得しても、じゃあ辞めよ、なんて簡単に言えるわけがなかった。
そんな時、文章で食べていく方法があることを友人が教えてくれた。インターネットの様々な記事や転職サイトの求人を眺めては、自分の経歴や結婚後の状況では転職が難しいということの確信を深めていた私にとって、それだ、と思った。
いや、それしかないんちゃうか、と思った。
一つの特殊な業界に閉じ込められ、よその世界で通用するスキルを何一つ養ってこなかった自分に残っているのは、なけなしの文章力しかない。
というわけで、私はそれから本屋でwebでの文章の仕事に関する本を買ったり、通えそうなライティングの講座を調べたりといったことを始めた。noteに投稿された記事をクリックしては、noteで活躍している方々は一体どんな方で、何を書かれていて、読者は何を求めているのかを知ろうとした。
未経験可の校正の仕事を求人サイトで探してみたこともあったが、私は主にはwebでの物書き仕事に焦点を当てて調べていた。小説家になるのは険しい道であることは勿論、webの世界はこんな素人でも比較的参入しやすそうだったし、webでの動きありきで世の中の物事が動く時代になったな、と実感していたからだ。
そこで考えたこと、仕事で死にかけすっかり鈍った頭に湧いて出たかろうじてのことがある。
私が好きで気ままに書いている文章と、webで多くの人に読まれる文章とは、きっとタイプが違う。
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好きな人間がわざわざ本屋でお金を出して、あるいは図書館にわざわざ足を運んで楽しんでいた「文章」というものを、スマホが普及した現代は安く、手軽に、webでサクッと読んで楽しむ時代になっている。
そして、そういう時代に合わせて求められる文章のスタイルがある。私が日々書きたがる文章は、おそらくそっちのスタイルじゃない。
私の書く文章って、きっとweb媒体向けじゃない。お手軽じゃないし、長くて読みづらい。小難しい書類ばかりを作る仕事をしていたから、その辺のお堅さがぬぐい切れてなくて、大学デビューしようとしてオシャレしたつもりが、全く洗練されていなくてもっさりしたままの残念学生みたいな文章になっているだろう。
長くて読むのにちょっと手間のかかる文章が人に読まれるためには、文章そのもの以上に、書き手個人の存在の強さが重要ではないかと思う。書き手個人が、「この人の文章なら読みたい」ってたくさんの読者に認識されていること。
それに、書いていることの内容だって弱い。私の生き様にも知識にも、ネタとしての力がない。人々に求められる、ニーズにお応えするような情報が、私という人間からは叩いても捻っても出てきそうにない。
いまの私はただの性格的な不器用が祟って、仕事休職して、寿退社しそうになってる主婦予備軍。んなもん、世間にはごまんといる。
とすると。私がもともと大好きだった、言葉を選んで編んで、美しい文章を連ねていく行為。スマホ片手にたくさんの人に読まれて、これを読んでよかったなと、価値を感じてもらえるような文章を書くこと。
この2つは、違う。
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じゃあ違うと分かった上で、私はどうしたいのか。
私が綴るものは、一体何になるというのか?
私は結局退職を決めた。次の仕事は決まっていない。心身は随分回復し、仕事の傀儡と化していた屍は、だいぶ人間の生気を取り戻した。退職までの残務処理のために仕事にも復帰している。まだ生者に戻ったばかりなのだから、無理をしないようにとも周囲に言われている。
ただ、読まれるか読まれないかはともかく、文章を書くという行為を自分が愛していることだけは、忘れないでいたい。
お金のためでもなく、他人に褒めてもらうためためでもなく、ただただ書くことを好きでいる、それだけでいることを。
そのために、しばらくはあてどなく、相変わらずテーマもコンセプトもなく、ただ書けそうなこと、書きたいことを、ぼちぼちとnoteに連ねていくだけだろう。
それができなくなったらまた屍だ。
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