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犬と暮らす

うちには、ボクサー犬が二匹いる。一匹は純種、一匹は雑種。年齢も体重もほぼ同じだ。どちらも、もらい犬なので、名前もついていた。

小学生の時、手をかまれたことがあり、わたしは犬好きではなかった。いつかは、と連れ合いと話し始めた頃も、柴犬くらいなら飼えそうな気がしたが、それ以上のサイズの犬は想像になかった。

だが、犬を飼おうと言い出したのはわたしだ。

この街に引っ越すことになったとき、小学生だった子どもらに、どう言おうか決めあぐねていた。ある日、口にしてしまったのは、こんな言葉だった。

「引っ越したら、新しい所で何が欲しい?何でもいいよ。」

「ほんと?何でも?」

引っ越すというところを飛び越えて、まだ幼い子どもらは、質問に反応する。そして、返答してきたのは、テニスコート。象。

それは約束できないなあ。子どもらは、何でもいいって言ったのに、と、不服そう。私はつい言ってしまう。

「犬は?」

目を輝かせた子どもらに、わたしは力強く言う。引っ越したら、犬を飼うことにしようと。


引っ越しは、年末の寒い頃だったので、犬のことは、うやむやになった。子どもらはせっつかないし、このまま忘れてしまうのかも。親の方も、犬を飼う心構えができてなくて、自分たちからは、言い出さなかった。

それでも、春に、まだ9ヶ月のボクサー犬がやってきた。住宅事情のきびしい所に引っ越すことになり、犬の引き取り手を探していた、知り合いの家族から、もらいうけた。

わくわくもしたが、めんどうをみることの責任を重くも感じた。犬を飼ったことのないわたしには、犬歯を見せる顔が怖く、慣れるまでハードルが高かった。

でも、気がつくと可愛く思っていた。二匹いると楽だという話を聞き、もう一匹をと言い出したのもわたしだった。

それで、加わったのが、雑種のボクサー犬だ。同種も大型犬も、特にさがしていたわけではない。柴犬の雑種がいると聞いて、行ってみた動物保護施設で、私以外の3人が、あれがいいと指差した犬を、もらいうけた。


犬と暮らす。

思ってもみなかった。わたしが言い出したことといえばそうなのだが、わたしだけなら、ペットは持たない。本当に飼うことになった時、これが、誰かといっしょに暮らすということなのだと観念した。


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犬から学んだことも多い。

犬はうらみを持たない。

犬はわたしたちを、いつも信じている。単純といえば、ただそれだけなのかもしれないが、なにかしてやると、嬉しいことには、からだじゅうで反応する。それも、もれなく、する。

犬は、人のそばにいたがる。

わたしたちに、なにかをしてほしいときもある。でも、ただ、そばにいることをうれしがってくれる。


めごいヤツらとは思うが、困ることがある。

動物は本能がある。庭に小動物が出るたび、それを思い出さされてきた。

ポッサムという動物を、初めて近くで見ることになったのは、うちの犬が、つかまえてなぶりものにしていたから。ポーンと上に放り投げられていた。リスはすばしこいので、つかまらないが、うさぎは、ときどきある。思い出したくもないが、連れ合いと散歩に出かけた林から、鹿の足をくわえて帰ってきたときもある。

そして、瞬発力が強い。止まった状態から、パッと駆け出す時の勢いは、一匹でも、わたしは引っ張られる。二匹だと、彼らの駆け出す方向に自分も走らされるか、悪くすると転ばされる。

最初の犬を飼い始めたころ、散歩で人を引っ張りまくる犬に、わたしはときどき転ばされた。そのたびに、わたしは家族に、犬はいらない、と訴えた。そのうち、散歩の作法を工夫し、向こうから犬が来ていたら、道路の反対側に行く、綱を短めに持つ、などした。走り抜ける、もある。

うちの犬の弱点は、小さい子のいる家族連れ。それから、犬。大きさや種類に、特にパターンはないが、それぞれが気にいる、または、気になる犬がいる。

二匹とも反応する犬は、夕方の散歩でときどき出くわすコリー犬だ。連れている人は、感じがよく、あいさつや言葉をかわすようになった。

うちの犬は、このコリーが見えると、我を忘れる。そちらにめがけて走り出す。だから、立ち止まらず、早足で歩く。向こう側にいる、コリー犬のほうに、近寄りたくて、二匹が、綱を引っ張って抵抗するのを、精一杯引っ張りながら。

一度、コリーの飼い主と、道を挟んで立ち止まって話した。歩きだそうとした私は、止まってから一歩を出す二匹の犬の力に負けた。引っ張られ、転ばされた。

転ばされると、痛いより恥ずかしい。特に人の目があると。しつけのできてない犬と飼い主、という図に。

一年前の夏に、公園で引っ張られたわたしは、前のめりに転び、前歯を2本折った。

犬がきらいになったり、怖くなったりはしなかったが、それから、わたしが犬を連れ出すのは避けた。でも1年たった今、喉元過ぎれば、で、最近、夜の散歩に、一匹ずつ連れて行くようになった。

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子どもと同じで、ペットは、いてもいなくても、どっちもどっちだと今も思う。特に人にすすめようとも思わない。

でも、犬がいることで、思ってもみなかったドラマがある。そして、子どもを持つことと同じように、わたし自身は、たぶん、ほんの少しだけだが、がまん強く、気長になった。

この先もしも、うちの犬らに手をかまれることがあったとしたら。

だいたい、うちの犬は、人をかまない。わたしを、勢いあまって転ばせることがあるとしても、わたしをかむことは絶対ない。

その、万が一があったとしても、わたしは、それでも、もう犬はこわくはならない。嫌いにもならない。たぶん、飼い犬に手をかまれるようなことをした自分を、反省するだけだろう。




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【期間】7月20日(火)まで  
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回してくれたのは、しめじさん。


しめじさんは、オトナの香りをさせるものもけっこう書かれるので、「バトンを握らせた」などという表現に、つい、あらぬ連想をしてしまいそうになります。また、Barシリーズが始まって、どきどきしながら読みにいっています。

しめじさんは、3行短文、リレー小説、写真から創る、などなど、わたしが書けるようになるきっかけをいくつも作ってくれ、殻も皮もやぶらせてくれた、恩人です。

そのしめじさんからのバトンなので、しっかりつなぎます。

渡すのは、しめじさんと同じくらい、note生活の最初からずっとお世話になっていて、しめじさんとも関わりが深い、このお二人。


きたるさん。

きたるさんのイラストは、どこかで見られたことがあるはず。色合いも構図もですが、描かれる人物や動物の表情に、なんともいえない味わいがあって、心つかまれます。そして、詩に、世の中で起こることから、なにげない日常までを、広い世界感(宇宙感とでも呼びたいような)でつづられます。また、生活のちょっとしたきしみや疲れに、寄り添ってくれる言葉をかけてくれる。そこにいて、肩に手をまわしてもらっているような気持ち。読むだけで癒されてます。


zep0814 i理昭さん。

理昭さんは、なんていうんでしょう、変幻自在、摩訶不思議、魑魅魍魎、、それはちがうか。定型3行短文詩を提唱され、書かれます。現代詩を書かれます。ジャンルのことなど2の次に思う、エッセイを書かれます。実験的というか、創造の力、というか、いつも、形も内容も新鮮です。こうだろう、と決めてかかれないような。

刺激ももらい、励みにもなっているおふたり。

よかったら、バトン、受け取ってください。



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