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あきやまやすこ

これだったんだな。何もなしで年をとるのはおかしい、なにか来ると思っていた。

医者に会うとすぐ、「悪い知らせですが」と、乳がんだと告げられる。次の瞬間、口元がゆるむように話している自分に気づく。
「切ればなおるんですよね。」
むかし、父は胃を切った。3分の2切られた胃を見せられて、はたちの私は嗚咽がとまらなくなり、母にたしなめられた。
 「切れば治ります。」

医者は、がん専門の外科医の名前を書いて渡してくれた。この人に会いに行って、切る日を決める。スカートのすそをにぎりしめるとか、こぼれそうな涙をこらえるとか、あってもいいのに、そんな気持ちは素通りする。

がんセンターの人がサポートしてくれるという。
こういう時は、何が要り、何が役にたち、そうでないのか、見当がつかない。しばらく待つと、白衣に眼鏡をかけた中年女性が入ってきた。癌をわずらう患者へのいたわりの言葉を聞きながら、どんどん気持ちが落ちていく。

これは私のことなのか。さっきの笑えるような気持ちが、彼女への怒りにかわっていく。心臓手術をした時、サポートセンターから来た人に、機嫌をわるくしていた義父を思い出す。


家に帰ると、ひと月前に家に来たボクサー犬が、しっぽをふって寄ってきた。

連れ合いはその頃、1週間の出張で離れていて、犬は私と小学生の子供2人にまかされていた。
犬が、大きな口をあけて、こっちに向かって走ってくると、私は緊張する。ひと月くらいではまだ慣れない。

大きな犬歯に、よだれを少したらして、とびかからんかのように駆けてくる犬。かまないとわかっていても、体がすくむ。私は、上の子の名前をよぶ。
  たすけて。こわい、おかあさんは。

電話がかかってきて、連れ合いと話す。
乳がんのことを言うのは、やめておいた。


犬の散歩は、下の子では、犬の方が力が強くて、ひきずられそうになるので、私がいっしょに行く。

近づく人やら動物にいちいち興奮する犬にひっぱられて、私は前のめりに転ぶ。痛いし、恥ずかしい。大人が転ぶことも、転ばせるような犬の飼い主であることも。
  私はいらない、犬のめんどうはみれない。
同じことを、何度も頭の中で言葉にする。

乳がんを告げられてすぐ、犬が私の、前でなく横を、歩いた。ほめた。ほめると、すぐまた前を歩きだした。もっとほめたら、もっと言うことをきくんじゃないかとも思った。

もしかしたら、犬も私も、互いに慣れてきてる?
 映画では、たぶん、このくらいの時期に、意地悪飼い主の私の心が溶け、犬との間に深いきずなが急にできるんだろう。

でも、私の心は、「私はいつ手放してもかまわない」ままだし、バイオリンのBGMも流れない。
今日は前より上手に歩くようになっても、明日は、後戻りかも。

犬は、ずっと、言うことをきくようにはならないかも。私も、何年も、犬は飼えないと思い続けているのかも。でも、もしかしたら、いや、きっといつか、私はこの犬とうまくつきあえるようになるんだろう。1年後かもしれないし、5年たつのかもしれない。

この犬が死ぬのと、私が死ぬのと、どっちが先なんだろう。できれば、私の方が長生きしたい。
 再発までの可能性は、乳がんは7年とも10年とも言われる。子供の年を考えると、7年はいやだ。10年はがまんできても、7年では死ねない。

明日は、連れ合いが帰ってくる。明日は話せる。

診療室で笑ったこと。切れば治るところでよかったこと。用のすんだ器官だから思い入れが少ないということ。がんセンターの人の話に、心臓手術した義父を思い出したこと。平常心で病院を出たのに、駐車場がぐるぐる回って、車をどうやって見つけたのか覚えていないこと。明日は。


夕食の前に、犬を散歩に連れ出す。私の役目も今日まで。犬のつなを手に、声をかける。
「パッチ。」
名前を聞くより先に、つなを持つ私の姿に気がつくと、犬は、まっすぐに私の方にかけてきた。



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はげみになります。
あきやまやすこ
詩を書きます。入り口は、朗読でした。朗読会の観客として、それから朗読者として。そして、自分も書くようになりました。書かなかった期間も長いので、Noteにのせることで、詩を書くことをもっと自分の日常にしたいと思っています。