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「脱イケメン宣言」

「脱イケメン宣言」

美しい容姿や魅力的な外見を追い求める日常。

熾烈な争いが、このnoteでも、繰り広げられている。

私はこれに挑戦し、「脱イケメン宣言」をするに至る。


物語は、いまから2ヶ月程前、僕がnoteのアカウントを作った頃に遡る。

その頃の僕は、まだ記事を投稿したこともなく、アイコン画像も未設定のままだった。

そんな中、僕は数々のnoterたちの記事を、貪るように読んだ。

楽しい、面白い、勉強になる!

そんな風に素直に記事を味わうこともあれば

「僕はどんな記事が書けるだろうか」

と、自分自身の投稿について想いをはせることもあった。


そして、投稿を始めるにあたり、大事な項目を決定しなければならないことを悟っていく。

それが「アイコン画像」だ。

人気な男性noterのアイコンは、イケメンが多かった。

いや、もしかしたら、僕がイケメンアイコンのnoterの記事ばかりクリックしていたのかもしれない。

やはり、選ばれるためには「イケメン」のほうが有利だ。

だが、待て。

あまりにもイケメン過ぎると、それは、それで、なにか、が、恥ずかしい。

イケメン過ぎないイケメンを作るんだ。

僕はAIを駆使して、ギリギリ僕に似ているとも言えるイケメン過ぎない超イケメンを産み出した。

完璧だ。

このイケメンアイコンさえ装備すれば、僕のnotrライフは順風満帆になるに違いない。

バラ色のnoter生活のスタートだ。


こうして、イケメンアイコンをまとった僕のnoteライフが始まった。

イケメンアイコンの僕は、スキを押すときも、コメントをするときも、いつもより上機嫌でいられた。

ただ、幸せな時間は長くは続かなかった。

う、うん? この違和感はなんだ??

徐々に募っていく不安。

なんと、これほどまでとは!


僕は自分に衝撃を受けた。

イケメンアイコンをまとって、イケメンのフリをして、爽やかなコメントをしている、この、自分で生み出したはずの理想のイケメンに、イライラしだしている自分がいる。

あぁ、そうか。そうだった。

僕はイケメンが嫌いだった。

思い出した。イケメンというチート能力を与えられたラッキーボーイを、好きになれずにいたあの日々を。


そして、決意した。

「イケメンを、卒業しよう」

気がついたら、人の顔なのかも分からない造形のアイコンを生み出していた。

うん。これでいい。これで、いいはずだ。

自分の顔をイケメンにするだなんて、非イケメン属の恥だ。

いいか。僕はnoterとしてデビューしたんだ。

記事を投稿したからには「スキ」を押してもらいたいし、「コメント」も書いてもらいたい。

それなら、ちゃんと、考えるのだ。

己の行動を。

君は、イケメンアイコンのnoterの記事をクリックするといったが、その記事が素晴らしかったとき、素直に「スキ」を押せただろうか。

いや、答えは「NO」だ。
イケメンな上に、いい記事も書けるだなんて、そんな奴を見つけたときには、嫉妬心が頂点に達して、素直に「スキ」を押すことが神の所業のように感じられ、人間ごときの僕には、そんな偉業は成し遂げられなかったではないか。

ならば、だ。
イケメンアイコンは、決定的に損をしているとも言える。

イケメンアイコンにしている限り、イケメンを敵視する同士からは好かれない。

noteで交流をするからには、同士に出会いたいではないか。そして、そんな貴重な同士とは、心を通い合わせ、固い絆で結ばれたいではないか。

それなら、結論はひとつ。

イケメンになることは、いますぐ辞めることだ。


こうして、僕はイケメンを卒業した。

そもそも、美の基準は主観的であり、外見だけでその人の価値が決まるわけではない。

ましてや゙、noteの世界では、さらに「外見」よりも、「内面」や「クリエイターとしての能力」など、「外見」からは分からない才能をアピールする機会が数多くある。

そんなプラットフォームの中で、顔を整え、完璧なイメージを維持することは、本当に意味のあることだろうか?
それは、本質的な魅力の向上に繫がるのだろうか?

「脱イケメン宣言」は、自分を見つめ直し、外見ではなく、むしろ「内面」に焦点を当てることを決意した表れでもある。

イケメンのアイコンに縛られず、自分の個性を大切にすることが、真の魅力を引き出す手段だと証明したい。

「脱イケメン宣言」は、外見に囚われることから解放された新しい僕の旅の始まりだ。

過去のあの理想のイケメンアイコンから卒業し、内面の充実を追求する中で、自分の魅力に新たな発見があることを期待している。

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