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人生はチャレンジだ!「好きな事を仕事にする」編④目標に向かって

子供の頃から漠然と思い描いていた「自分の店を持つ」というとても小さな夢。料理好きな父親の背中をずっと見ていた私は、なんの抵抗も無く「スッと」料理作りが好きになった。それが「寿司職人になる」という明確な目標に変わった事で、いつか必ず北海道に帰って「お寿司屋さんを開く」という夢を抱きなら、東京で寿司職人見習いとして孤軍奮闘の毎日。でも、欲張りな私は、プライベートも充実させようと、趣味のバイクの大型化を目指して「限定解除一発試験」を11回目でやっと合格するという何ともお騒がせな若者…だったに違いない。本来なら、脇目も振らず一心不乱に「寿司の道」を極めるべく努力しなければならないところを、「休日は趣味のバイクでツーリング♫」だなんて他店同業同期の職人見習いの若者から見れば、後ろ指差されるのは確か…なはず。

わかっている!

そんな事は重々承知。

当時、親方にも言われいた。

「遊んでる暇ないからな!」

「5年で一人前にしてやる!」

これが親方の口癖だった。だから、休みの日に趣味に興じている暇は無いと。今現在と当てはめると「完全なブラック発言」なのかもしれないが、「手に職を付ける」という事の本質、中核となる部分は、ブラックだのグレーだの、そんなの抜きにして「人より努力する」という事なのかも知れない。
でも今は令和。昭和平成の精神根性論は、もう不要。「人より努力する」は、何も「寝ないで〇〇」とか「休日返上!」とかそんな事しなくていいんです。握り拳に収まるくらいの「心掛け」程度で充分。それがあるだけで、一種の「気付き」が芽生えてきます。
それは、「違和感」であったり、「共感」「同感」人によって感じ方、見方は色々。

「心掛け」は、考えて仕事すること、だと思うんです。その心掛けが、ライバルとの差を生み、仕事の差を生む、これは間違いない事実です。

私がいたお寿司屋さんは、前述した通り、親方、女将さん、私の3人。この3人だけで、お店を営業していました。通常の寿司職人見習い修行では兄弟子が居て、段階的に仕事を覚えながら徐々に…徐々に…という感じで、包丁持たせてくれるまで数年…板場で寿司職人として一人前になるには10年以上かかるのが普通。でも私は幸い…(と言っていいのか…)いきなりシャリ切りを教わり、入店の次の日には仕込み用の出刃庖丁を持たされ、そして約一年という極めて短期間でお店で扱うネタの仕込みを叩き込まれたのです。このスピード感が、親方の言う「5年で一人前」に繋がっていました。
でもその一年が過ぎた頃、最初のターニングポイントに差しかかります。
それは次回。







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