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人生はチャレンジだ!「好きな事を仕事にする」編⑤世間知らずな反発…そして後悔。

寿司職人の修行も一年を過ぎ、2年目に突入した頃には、裏方仕事は一通り出来るようになっていた。出前、洗い物、ホール業務は勿論、シャリ切り、焼き物、蒸し物、汁物の調理、ネタ仕込み全般等、自分でもそれらの仕事に対して自信も付いてきた。

でも…その頃だと思う…。

旦那さんや女将さんの言うことが段々と煩わしく感じるという心の変化。

今思えば、ただのわがままで自信過剰で生意気な若僧。なのに、そんな事に気づくはずも無く、その煩わしさは日々増長され、やがてそれは自分の態度にも出始める。

先ず相手の目を見なくなった。

そして言葉の端々に、相手への不満が見え隠れするようになってきた。

もうこうなると、「学ぶ」という姿勢は私には無い。
何が不満か…?
どうして心を閉ざす?
自分でも分からなかった。
毎朝、毎朝、旦那さんと女将さんの顔を合わせる事が苦痛になり、感情が爆発しそうになる事も度々あったが、何とか堪えた。
でも、そんな生意気な私を、旦那さんと女将さんは、親身に根気強く私を指導してくれていた。

「俺は何しに東京に来た?」

何度、自問自答しても答えはただ一つ。

「寿司職人になる」

子供の頃からの夢。

好きな事を仕事にする。

それなのに今の自分って何?

何様?

薄々分かっていたと思う。

このままじゃいけないって。

でも若かった。

世間知らずと言うか、当時の自分には、旦那さんと女将さんの気持ちを考える事なんて微塵も無かった。
そんな生意気な日々を過ごしながらも、少しずつ板場の仕事もやらせてくれた3年目。
「今日は何だか朝からうまくいかない…。」
自分への苛立ちが抑えられない。
それはやがて、いつものように旦那さんと女将さんへの反発心に変わり、態度に出始める。
そして旦那さんに一喝されたその時…
遂に事件は起こってしまう。
「もういい!辞めた!」
もう勢いだった。
どうにも抑えられなかった。
「このままじゃダメだ!」と分かっていても、後には引けない自分がいた。
頑固で石頭の大馬鹿者。
わがままで生意気な若僧。
恩知らずの世間知らず。
が、その時の自分。
そして、そのまま寿司屋を飛び出し、アパートに戻って北海道へ帰る身支度を始めた。
好きな事を仕事にする。
それが寿司職人だったはず。
だが、途中で投げ出した。
あと2年頑張れば道は開けたはず。
でも諦めてしまった。
本当に馬鹿な自分。
親にも連絡した。
「帰るから」
父さんは「気を付けて帰って来い。」
ただその一言だけ言って、後は何も言わなかった。そしてアパートの荷物を引越し便で先送りし、残った荷物満載のバイクで、東北自動車道を北を目指して走り出した。
夢を抱いた東京との別れ。
寿司職人を目指した自分との決別。
こうして、22歳の青春は「後悔」という二文字を引きずりながら終えようとしていた。





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