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授業の当たり前を疑う❶ 挨拶

 公立中学校で英語を教えています😌
 授業で当たり前のようにしてきたこと。それって本当に必要ですか?それって本当にそうすべきですか?一度立ち止まって考えてみませんか?授業の当たり前を疑うシリーズ第1回目です。

はじめに

 「授業では◯◯をすべきだ。◯◯のない授業はダメな授業だ。」

 教員になってから今日まで校内外研修やセミナーなどでよく耳にしてきました。実際、僕も初任者時代の研修で、「ああしなさい。こうしなさい。そうするな。」としつこく言われてうんざりした記憶が。

「なんか違和感…。」


 もちろん、だれもが習得すべき授業技術はあります。が、どうしても「ちょっと待てぃ!」と言いたくなるようなことが僕には多くあるのです。このシリーズでは、そうした当たり前に対する僕個人の思いを書いていきます。

「授業の挨拶」って…

授業の挨拶って当たり前ですか?

 皆さんの授業では挨拶をしていますか?発する言葉の違いはあっても、最初と最後に挨拶をする授業はよく目にしますよね。僕の学校ではチャイムが鳴るとこんな感じで授業が始まります。

委員長「起立(生徒全員起立)。気をつけ。今から◯◯の授業を始めます。」
教師「お願いします。」
生徒「お願いします。(礼)」
委員長「着席(生徒全員着席)。」
先生「えー、前回の授業では…。」

*終わりは、「お願いします」が「ありがとうございました」に変わるだけであとは同じです。

これって当たり前でしょうか?


言い方を変えます。
授業で毎回行う必要はありますか?

結論

僕は必要ないと思います。言い過ぎかもしれませんが、時間の無駄です。

 必要派の意見としては挨拶は礼儀だといった感じでしょうか。もちろん、朝会ったら、おはようございます、放課後会ったら、さようならとマナーとして言うべきでそれは身につけるべき社会スキルの一つだと思います。でも「授業前後」の挨拶は必ずしもしなくていいのではないのでしょうか。

3つの理由

①時間がもったいないから。
 授業はサッと活動から入って、活動したまま終わりたいですし、授業内ですべき・したいことが早く終わった人は終了前からまったりしていればいいのです。まだ終わっていない人は休み時間になっても、きりがいい所まで続けたらいいのです。それを挨拶しなくちゃいけないからと、中断する必要はないと思います。

今ちょうどいいところなのに!なんで中断するの!?

②そもそも指導しなくてもよいから。
 「授業前後の」
挨拶は指導要領の中に指導しろ!と書かれていません。つまり、そもそも指導項目にないのです。にも関わらず、多くの学校で「したほうがいい」とされて根強い文化となっています。

 「したほうがいいとされているから、みんな指導しているから、自分が学生の頃に指導されていたから、、、。」
そうしたなんとなくで指導していいものは教育活動においてありません。

③徹底した指導がなされていない現状が山ほどあるから
 もし授業前後の挨拶を子どもたちにさせるならば、学校に属する児童生徒全員が一人残らず声もおじぎも何もかもの所作が完璧になるまで指導しなければなりません。人を教育するというなんともとんでもない僕たち教育者の指導です。いい加減ではいけません。
 しかしながら、生徒全員をそこまで徹底して挨拶指導している学校を見たことが僕にはありません。皆さんの学校はどうでしょう。授業前後の挨拶はしているものの、だるそうで気持ちのこもっていない生徒、お辞儀をしていない生徒、声を発しているそぶりのない生徒(マスクを着けているので余計にわからない…)、いませんか?僕は学校現場にいて常々思うのですが、徹底できない指導はすべきではありません

授業の最初はただ一言、これだけ。

では、僕がどう授業を始めているのか。僕の第一声は決まっています。

いつも同じです。ただ一言だけ、

単語。

と言って授業を始めます。

たったそれだけです。

英単語学習に使うプリント

 それだけ言うと、子どもたちはすぐさま単語プリントを手に持ち、単語学習が始まります。チャイムが鳴ってから授業開始まで1秒もかかりません
(子どもたちは単語学習から授業が始まると知っているので、実際にはチャイム前には単語プリントをほとんどの子が手に持っていますが)

単語学習をどう進めているかについては、以下のnoteもご覧になってください。
ICTをガンガン活用しながら単語学習しています!

 その後は次々にテンポよく活動を行い、授業の最後部分は自由進度学習の時間となります。チャイムが鳴った後も、

・ワークの問題を解く
・音読練習をする
・単語を覚える
・ペアとパフォーマンステストの練習をする
ことをほとんどの生徒が止めません。

僕はというと、チャイムが鳴った後でも熱心に活動に取り組む生徒の姿を見ながら「See you.」と笑顔で言いながら職員室に戻るのです。

*自由進度学習については別のnoteで詳しく書いていますので是非読んでみてください👍


おわりに

 以上、授業前後の挨拶について個人的な思いを書きました。もちろん、学年団や学校全体の取り組みとして大切にしている人もいるかもしれません。その場合においても、挨拶指導が形骸化されてしまっていないか、総じて教育効果を上げているか、考え直していただきたいです。

 僕の担任するクラスは、僕が担当する英語の授業で挨拶をしたことはありません。しかし、どのクラスよりも給食の準備・片付けや清掃、授業に一生懸命取り組める、日常生活に汗をかけるクラスだと自負しています。授業前後に挨拶をするから、集団と集団に属する個人が育つわけではない。僕は目の前の子どもの事実からそう理解しています。

余談ですが…

 英語の授業の最初を絶対に「単語。」と言うので、道徳や総合など他教科の授業で各教室を訪れたとき、何人かの生徒は僕を見ながら
「単語。」とニヤニヤしながら言ってきます。

僕「いや、今日は道徳やけん(笑)」
その年の学年流行語に「単語。」がノミネートされていました。。。

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