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わたしたちが大切にしたい「子育て観」を言葉に

メディアに流れる情報を見ていて、子育てに対する考え方や価値観(=子育て観)は、時代や社会と共に変わっていることに気づかされます。

たとえば、
「抱き癖がつくから、赤ちゃんが泣いてもだっこするな」
と言われていた時代もありましたが、

今では、
「親子が触れ合うことで、信頼関係が築かれる。だから、たくさんだっこするのが望ましい」(脳科学的には、幸せホルモンと言われるオキシトシンという物質が出る)
と、反対のことが言われていたりします。

また「子育て観」は、親自身が育ってきた背景によっても違います。
人によって言うことが違う。

これは、なかなか曲者で、
同じ歳の子どもを持つ親同士、同じ幼稚園の保護者同士、幼稚園の先生同士でも、みんな違う。

同じものだと思って関わって、なんだか気まずい雰囲気になることもありますよね。

公園で、子ども同士がおもちゃを取り合っているのを見て、
子ども同士のやりとりを見守りたい親もいれば、親が介入したほうがよいと思っている親もいます。
状況によっても、相手によっても関わり方は様々です。

年長者の「経験談」で語られすぎることも時に難しく、「現代」に当てはまらない場合もあります。
また、全てを現代の脳科学で語られても、感覚的・経験則な部分には合わなかったりもします。

このnoteでは、そんな「感覚的なこと」「学問的なこと」を、少しずつ言葉にするチャレンジをしたいのです。

書くチャレンジをするのは、二人の子ども(今では立派なおじさん)を育て、保育者としても経験の長いじゅんこ先生

その「立派なおじさん」の片割れで、今まさに子育て中(6歳と4歳男子)のりょうじ先生。(二人の背景についてはまた別記事で)

この二人で、やりとりをしながら言葉にしていきます。
矢切幼稚園の保育のこと、子育てのことは、私たち親子で話をしていても、やっぱり少しずつ違う。
そんな中でも、「子どもの幸せを願う」という根底の思いはいつも一緒です。

読む方たちにとって、「子育ての正解を見つける」ためではなく、「自分なりの納得解」を得るきっかけになったらうれしいです。

「ああ、そんなことも大切だったな」
「そんなふうになりたいな」
「やっぱり、日々これを大切にしよう」
「悩んでいるのは、私だけじゃないんだ」

私たち親が、学んで成長していく姿は、子どもたちにとっても大切です。

今、私が悩んでいることは、きっと他の人も悩んでいるはず。
みんなで、幸せな子育てに向かいたいものです。

幼稚園、親、地域が、感覚の違いを尊重し合いながら、共に楽しく子育てできる社会をつくっていけますように・・・

願いを込めて。

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