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豆のこと、鬼のこと、考えていきませんか?

節分ですね。

季節を分けて、暦の上では春が来ます。
ウチの周りでは、もうフキノトウが顔を覗かせました。
ありがたくいただきます✨🍶

乳幼児の誤嚥の問題は、これまでも注意喚起されてきましたが、今年は消費者庁から「5歳以下の子どもに硬い豆やナッツ類は食べさせないで」というお達しがきました。

今年、幼稚園では豆を食べることはしません。

でも、ここでよく考えたいのは、
「はい、そうですか。食べさせません!」
と、鵜呑みにするのではなく、

なぜ?
どうしていきたいのか?

を考えていくことだと思います。

臨床心理士であり、教師教育学をベースに子どもが幸せに暮らせる社会を目指して活躍されている武田信子先生のnoteが素晴らしいかったので、共有します。

子どもの食事、食べ物の扱い方、食べる姿勢、歯磨きのことなど、日頃からできることはなんでしょうか?

柔らかいお肉だけを与えて、大切に育てた虎の赤ちゃんに、ある日骨つきの肉を与えたら骨が喉に刺さってケガをしたという話も、とても教訓的です。

また、節分に鬼が登場する意味は、どこかハロウィンと同じになっていないでしょうか?

ある有名なダンスアーティストに伺ったお話です。
その方は、学校にダンスのパフォーマンスや出前授業をして「表現」のことを伝えているユニークな方なのですが、

「ぼくらは、ナマハゲみたいなものです」と。

子どもたちの心を、楽しさや恥ずかしさ、勢いやもどかしさで、ぐらぐらに揺らす経験をさせる人なのだと思います。

ナマハゲは、ある晩に突然家に入ってきます。

「泣く子はいねーがー!」
「悪い子はいねーがー!」

安心できる家で、守ってくれる信頼できる家族とともに、「恐怖」と対峙する経験。

心は怖さでぐらぐらに揺れても、決して折れることはない経験。

毎年少しづつ成長していき、ある年泣かずにナマハゲに向き合い、また今度は自分よりも幼い者を守る立場になっていく。

秋田のナマハゲの風習に参加したことはありませんが、きっと毎年家族の絆を確認し、子どもの成長を地域全体で見守っていくお祭りなのでしょうね。

怖がって泣く子どもたちを見て、笑っているだけの大人ではなかったか。
本当に怖がる子どもたちに、どこまで共感できていたか。
いつものようにしっかりと守ってあげたか。
子どもたちは自分を信頼してしがみついてきたか。

と武田先生は書かれています。

一昔前に流行った、鬼の「しつけアプリ」のように、怖さを子どものしつけに使うだけでなく、日頃から子どもの怖さや心配に気がついて、共感できているでしょうか?

「そんな悪いことしてると、鬼がきて連れてかれるよ」

と、言うだけでなく、

「鬼が来ないように、一緒にやろうか?」

と、「安心の中にある脅威」みたいなものが、鬼の意味なのかもしれませんね。

「おにはーそとーーーっっ!!」と大きな声を出すこと。
鬼に向かって豆を投げてみること。
先生の手を離れてみること。
隣の友だちを守ってあげること。

その子にとっての「勇気」や「チャレンジ」を、安心な環境中でして欲しいものです。


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