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人は完璧にはなれない

実家に帰って思ったこと。洗濯物が4人分。それを母1人で全て洗っている。洗濯機を回す時間は1日に2回か3回。それを毎日。それがどれだけ大変かを最近わかった。

日々の作業に対して、誰もそれを評価したり、褒めたりすることがない。結論から言うと、何したって別にいいのである。それこそ体調の悪い日は、手を抜いて干し方が、雑になってしまったり、汚れたリビングを突然片付けたりする。自分の体調と部屋がリンクする。それが主婦なのかと思った。

日々の生活に評価する。それがルーティンワークをこなす上で欠かせないことになるのだと思う。それは自分だってできる。人に頼むことだってできる。クオリティーを常に担保することそれができるのは仕事だからだ。
主婦は仕事ではない。正直何やったって許されると思っている。天気はいつも晴れなわけではない。もちろん洗濯物をサボったり、買い物に行かなかったりすることもあるだろう。それに対してどういう気持ちでアプローチするかが重要なのかなと思う。
何十年も同じことをしてくると、どうしても麻痺する。何が正解か分からなくなってくるからだ。そこに関しては仕事も一緒だと思う。

少し脱線すると、仕事を辞める際に取締役からは痛烈な批判を受けた。3年で辞める位だったら、どこに行っても通用しない。大きなお世話だ。自分が固まって今それが捨て台詞にしか聞こえなかったのだけれど、続けた人には続けた側の人生しか見えない。したがってそういうことしかできないっていうのが当たり前のことだったと言うのに気づいた。

何が大変か、何が楽しいかは人それぞれだと思う。それを知っていればいろんなことを尊重できるし、いろんなことを許容でき、共有だってできる。

話を戻すと、日々の幸せを見つけるっていうのは、何かノートに書いたり、記録をつけることによって成立するのかなと思う。嫌なことがたくさんある。それを嘆いて人に話すのもいいと思うが、まずは自分の中で出来る限り答えを模索するというのが実は近道なのかと思う。
他人はどこまでいっても他人。それは家族だって共通する部分がある。人生は自分で決めるしかない。逆に言えば誰にも決められない。
迷うって事は幸せだと言うことだと最近気づいたんだ。

世界。目を向けてみるといろんな情勢や社会、政治がある。その中で生きていく人たち
は大変なことばかりだろう。売春で稼ぐしかない人、物乞いをして稼ぐしかない人、いろんな生活がある。その人たちに今まではかわいそう、なんとかしたいと思う気持ちがあった。今やっと答えが出たが、そんなことを考えてたって何も今が変わるわけではない。
なぜならその人たちは、本気で生きているから。それを自分たちが考えると言うことが、本気で生きていないから。

勝手に人の気持ちを判断しているだけだと思ったんだ。
判断と言うのがキーワードで、基本的に物事を判断するというのは本当に大切な時しか使ってはいけないと思った。それぐらい重要なこと。人を判断すると言うのは基本的にやめたほうがいい。そんなことできる人なんていないから。人はそれぞれ違うから。

人は完璧にはなれない。自分の完璧を人に押し付ける事もできないただ寄り添って一緒に生きていくことができる。だから面白いんじゃないかな。


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