ひとつの制度、無数の対話
人事として共感するところが多すぎて、全文を引用してしまいそうな記事があるのですが、グッとこらえて要旨だけを抜き出してみます。人事コンサルタントの曽和利光さんによるものです。
経営者や人事の方が、すぐ「制度化」を口にするのも、気持ちはよく分かるような気がします。制度にしてしまえば、後はそれに従って組織を動かしていけばよく、効率的な組織運営ができる、そう思えるからでしょうし、実際、制度化のメリットはそこにあります。組織で起こるいろいろな物事を個別に考え、判断するのは大変です。公平性も維持できるかどうかわかりませんし、その結果、従業員の納得感も担保できるかわかりません。制度にしておけば、制度の出来不出来はあっても、明確な基準であることには変わらないので、従業員はグウの音も出ず従ってくれるかもしれません。言わば、「楽」なわけです。
(中略)
私が「制度化はできるだけ引き延ばすべき」と思う最も大きな理由を述べますと、(中略)経営や人事の「個別対応」でできることが本当はとても多いからということです。
(中略)
要は、ミクロな個別対応を細やかにすれば解決できることを構造やルールを作る(制度化する)ということでやってしまうと、過剰に負荷もかかれば、いろいろな副作用も出てしまう。だから、個別対応でできることであれば、まずは担当者が目の前の人々に対峙して、そこで踏ん張るということが先決ではないかということです。それでもダメなら、最終手段としての制度化に進むしかない。それが人事として、組織問題の解決の順序ではないでしょうか。
『組織の問題解決を、安易に「制度」に頼ってはいけない〜個別に真正面から対応をするのが嫌なだけ〜』より
ここでは、経営者や人事の側が、制度によって従業員を抑えつける構図として描かれていますが、その逆もありえます。従業員の側が、画一化された制度を望む場合です。評価制度がその最たるものでしょうか。「評価をつけにくいから定量的な基準を示してほしい」(評価者) 「どうしてこういう評価になったのかわからないので定量的な基準を示してほしい」(被評価者)
私の書き方が拙いせいで誤解を招くといけないのですが、私は何も、経営/現場/人事の間で犯人探しをしたいわけではありません。「誰が悪いのか」という問いが、明るい未来につながることは稀です。
むしろ私がイメージしているのは、経営/現場/人事の間の共犯関係です。
経営/現場/人事がそれぞれの異なる思惑から、制度化を望む。全員が各自の目線からの「よかれと思って」を積み重ねた結果、全員があまり幸せにならない。そんな負の連鎖が想起されます。
一方で、制度を通じた、三者の互恵的な関係という明るい未来を提示してくれているのが、カルビーのCHRO 武田雅子さんの言葉です。
「よく私は、さまざまな人事や組織の変革においては、“制度”“運用”“配慮”の3つの段階があると話しています。制度設計の際には2つ目の運用が生きるように、人事制度に余白を残すことが重要です」(武田氏)
人事制度を人事がつくり、それを守ってほしいと現場に伝え、現場で運用が始まる。「運用の段階では、その地域・部署だけの“いいローカライズ”ができるように、制度をガチガチに決めすぎてしまわないこと。すると、たとえば病の社員が出たとき、その人の病状や部署の状況に合わせて配慮や協力がしやすくなります」(武田氏)。ただし、「ローカライズで重要なことは、あくまで“ローカル”であること」 と、武田氏は強調する。「拡大解釈が独り歩きしないように、そのマネジャーが顔の見える範囲で、その人・その部署に本当に合う運用がされているかどうかを確認できることが条件です」(武田氏)
『Works 167 社員の病と人事』より
今回のタイトルである「ひとつの制度、無数の対話」という言葉ですが、どこかで見かけたときに気になって、ずっと頭に引っかかっているにもかかわらず、いろいろ調べても出典がわからない、私の中での詠み人知らずの言葉なのです。
組織に対して、制度はひとつしか作れません。制度は《明確な基準》を形にしたものだからこそ、「ひとつに収斂したもの(せざるをえなかったもの)が制度だ」とも言えます。制度は、力(パワー)であると同時に、限界でもあるのです。だから、《過剰に負荷もかかれば、いろいろな副作用も出てしまう》という不幸が起こりうる。
そこで、制度を通して従業員が幸せになる、ひいては経営/人事も幸せになるためには、《いいローカライズ》を引き出すための、無数の対話が必要になります。でも、無数の対話なんて、面倒くさいですよね。そんな時間ありませんよね。でも、でも。その《「楽」》したい姿勢から導かれるのは結局、《従業員はグウの音も出ず従ってくれる》という、本来は誰も望まないはずの帰結です。
犯人探しをしたいわけではない、ということをあらためて宣言する意味を込めて、人事としての私が自責で考えてみると、《運用が生きるように、人事制度に余白を残す》ということを常に意識しつつ、《人事や組織の変革においては、“制度”“運用”“配慮”の3つの段階がある》ということを、他の二者に繰り返し伝えていくことなのかなと思いました。
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