毎日の通勤をしなくなって、もうすぐ2年たとうとしている。僕の周りでも、フルリモートの人から、自分で選んで週のうち数日を出社する人、自分では出社したくないけど会社の方針で出社せざるを得ない人、仕事内容自体により出社せざるを得ない人など、グラデーションがある。
そういったグラデーションのなかの(極端な)ひとつとして、こんな記事があった。
どこまでが事実でどこからが脚色なのかは置いといて、ある種の思考実験として読むと、いろいろ考えさせられるところがある。
人材育成担当として僕が目を留めたのはこの部分。
この記事の文脈ではたしかに《そんなアホな》なのだが、これを組織社会化の観点に置き換えると、それほど《アホ》なことでもないのだ。
何かを身につけるうえで、《上司や先輩の働く姿を間近で見る》ということの効果は大きい。
また、《憧憬の念が増し、「ああいうパイセンになりたい」という気持ちが成長をうながす》というのも、仕事を覚えたり、組織への定着において果たす役割は大きい。
出社は是か非か。この問いを考えるときには、対象者を明確にすることが大切。そのままでは主語が大きすぎる。
対象者を明確にする大切さは、元記事の冒頭でもちゃんと語られている。
オフィスで行われていた仕事って、一体なんだったのだろう。オフィスで行われていたコミュニケーションって、一体なんだったのだろう。オフィス「だからこそ」できていたことって何なのだろう。経験者にとってはどうだったのだろう。新規参画メンバーにとってはどうだったのだろう。
いままで何気なくやってきたことを、意識化して、分解して、再定義する。「いままではこうだったけど、これからはこうありたいよね」という未来像に向かって。たとえばミーティングについてそれをやってみたのがこちら。
習慣や無意識というのは楽だし、それ自体が悪いわけではないのだけど、いま至るところで求められているのは、意識化/分解/再定義だし、その過程で「これからはこうありたいよね」が見つかれば、それはそれで悪くない成長痛なんじゃないだろうか。