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仕事の「何」を教えるのか?

小学校1年生の息子が、この冬からスキーに挑戦している。それにあわせて、妻もスキーを始めた。

上達は息子のほうが早い。こういうのは子どもの方がもともと覚えるのが早いし、学校の授業でも習うので練習量も多い。いまではすっかり息子が妻(お母さん)の先生になっている。お母さんよりも上手にできて、お母さんに教えてあげられる、というのも息子のモチベーションのひとつなのだと思う。

先日、小学校からスキーの習熟度についてのアンケートがあった。小学校の授業でスキー場に行くにあたって、「止まれるか」「リフトに乗れるか」などを聞かれる。それをもとに、クラス分けをするのだ。

小学校からのアンケートを真似して、今度は息子がお母さんに向けてアンケートを作った。先生たる息子が、生徒であるお母さんのスキー習熟度を知る必要があるとのことだ。(本人は大まじめ)

そのアンケートがこちら。

右上には「スキーをじょうずにやろう!」という楽しげなイラスト。「バンドをつけている」というのは、スキーとストックを束ねて持ち運ぶためのバンドを持っているか、ということ。「きぼうグループ」というのは、「止まれる」「大人と一緒にリフトに乗れる」「ひとりでリフトに乗れる」など、いくつかの基準によって決まる、習熟度別グループ。まずは自己申告で、どのグループを希望するか、というのを聞いている。「あるきかた」は、スキーで(斜面ではなく)平地を歩くときに、「て」だけ、すなわちストックで突くだけで進むのか、「あし」だけ、つまり摺り足で歩くのか、あるいは「てあし」の両方を使って歩けるのか、ということ。

息子がこのアンケートを書いてるのを横で見ていて驚いたのが、最後の設問。

「スキーがたのしみである」

たしかに、この問いが、「スキーをじょうずにやろう!」のうえで一番大切な気がする。だからといって、教える側が「血眼になって」楽しさを「教え込む」というのも違う。だってそれは「楽しさ」とは真逆にある姿勢だから。

この問いは、「教える側が楽しんでいるか?」というリトマス試験紙なんじゃないかと感じている。息子は学校からのアンケートを模して作ったわけだが、この「スキーがたのしみである」という設問は、学校のアンケートには含まれていない。だから僕は、「あ、息子はスキーを楽しんでくれているんだろうな」と思って嬉しかった。本人が楽しいと思っているからこそ、相手(お母さん)に向けて「楽しみですか?」と聞けるのだと思うから。

子どもは、楽しさの中を生きている。楽しさとともに生きている。子育てをしていると、そういう瞬間にたくさん出会う。そして逆説的に、大人である私たちはつい、楽しさという感受性や原動力を忘れてしまっていることに気づく。

感受性や原動力としての楽しさは、人材育成の文脈においてどう解釈できるだろう。

僕はよく現場の方から、メンバー育成の悩み相談を受ける。「こんなこともできない」「あんなこともできない」「どうすればできるようになるんだ」と、育てる側の悩みは尽きない。そういうとき僕はよく、こんなことを聞き返す。

「彼/彼女が楽しそうにしてる瞬間って、どんなときですか?」

こう聞かれたとき、育てる側である相談者は、「そんなこと考えたこともない」という反応をすることが多い。

育てる側に、楽しさという感受性が欠けていることが伺える。楽しさという感受性が欠けている時、その育てる側の人は、楽しさという原動力を活かすことはできない。楽しさという感受性や原動力が介在しない仕事を通して、育て「られる」側は、「仕事とは『楽しさ』とは無縁のものである」という暗黙のメッセージを受け取るのではないだろうか。そういう「人材育成」なるものを通して育った人たちが、今度は育てる側に回る。そこで再生産されるのは、どんな仕事観だろう。

「仕事は楽しいことばかりじゃない」という言葉はよく聞く。それ自体は否定しない。本当にその通りだと思う。ただ僕は、「仕事の楽しいところ」を口にする人を増やしたい。「仕事は楽しいこと『ばかりじゃない』」のだから、楽しいこと『も』あるはずだ。そちらに目を向け(感受性)、そのエネルギー(原動力)によってなされる人材育成をやっていきたいなと思う。

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以下は、関連する記事と書籍たち。

息子が生まれる前に、子育てって楽しいよ、と教えてくれた定食屋のおかみさん。おかみさんにそう言ってもらえたから、僕はいま、楽しさというフィルターで子育てを眺められていて、そのことにとても感謝している。

仕事と楽しさが結びつかない理由の一つが、「楽しさ」という言葉の意味を、「享楽」とだけ狭く、偏って捉えてしまっていることだと思う。享楽とは違う「楽しさ」を教えてくれる二冊。

一冊目は『仕事は楽しいかね?』。このタイトルを目にしてドキッとする人が多いのではないだろうか。そのこと自体が、仕事と楽しさが結びついていない人の多いことを示していると思う。(「楽しい仕事をする」ではなくて)「楽しく仕事をする」ための方法が、読みやすい物語形式で綴られている。

二冊目は『みんなのアンラーニング論 組織に縛られずに働く、生きる、学ぶ』。この本では、「真面目に楽しむ(シリアス・ファン)」という、仕事と楽しさの新しい関係性が紹介されている。シリアス・ファンでもって仕事に取り組むと、「働くこと」「生きること」「学ぶこと」の境界線が溶け合っていく。そういう時間はとても密度の濃いものだと思う。そうやって働き生きて学ぶ人を増やしたいなと思う。



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