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完璧な制度で担保される利便性や公平性

つまり、ニューヨークやパリでは、社会が相互扶助前提で動いている−人間関係が緩いグラデーションでつながっているんですね。日本でも地方ではそういったことがあると思いますが、東京のような都会では、助け合いをしなくても生きていける完璧な利便性をなぜか私たちは求めていて、状況がそうなっていないと、たとえばこの事例だと、駅員(あるいは、鉄道会社)が叩かれる。でも、そこにたくさんの“人間”がいるのですから、本来であれば自然に助け合えば済むはずなのに…と思うわけです。日本の都会では、人と人との間に、太く濃い境界線が引かれてしまっているのだと。

グラデーション:「境界線」の曖昧さが、社会の持続性を高める。(CASE: 92/100)

《助け合いをしなくても生きていける完璧な利便性》とは、ずいぶん破壊力のある言葉だと思う。利便性としては完璧なんだろうけど、人間性としてはなにか物足りない。

組織における「制度」についても似たような側面がある。

経営者や人事の方が、すぐ「制度化」を口にするのも、気持ちはよく分かるような気がします。制度にしてしまえば、後はそれに従って組織を動かしていけばよく、効率的な組織運営ができる、そう思えるからでしょうし、実際、制度化のメリットはそこにあります。組織で起こるいろいろな物事を個別に考え、判断するのは大変です。公平性も維持できるかどうかわかりませんし、その結果、従業員の納得感も担保できるかわかりません。制度にしておけば、制度の出来不出来はあっても、明確な基準であることには変わらないので、従業員はグウの音も出ず従ってくれるかもしれません。言わば、「楽」なわけです。

組織の問題解決を、安易に「制度」に頼ってはいけない〜個別に真正面から対応をするのが嫌なだけ〜

「そこにいるたくさんの人間が自然と助け合う」状態を、各個人の倫理観によって成し遂げようとするのは無理があると思う。それよりは、各個人がそこに向かっていくような環境づくりができるとよい。また、そういう相互扶助がはたらく環境には人が集まってくるだろう。


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