見出し画像

田舎出身が上京するまでの8年間の道のり~上京を機に自分モードにシフトする~

今日、自分は上京する

上京前に地元の温泉に入りながら、これまでの人生を自省し、考え思いついたことを記録として残しておこうと思う。

また自分の考えや価値観が少しでも共有され、皆さんのプラスになればということでNoteに投稿しておく。

自分の地元

筆者の地元

自分の生まれ育ちは人口3万人の田舎だ。今ではインターネットの普及によりそこまで情報格差はなくなったが、自分が中学高校生の頃は鎖国かと思うほど閉塞感を感じていた。

具体的にどういったところに閉塞感を感じていたのかということだが、
・都会から転入してくる人がほぼいない
・大人の大半が一生を地元で暮らしている
・平日は学校と家の往復
・休日は部活、公園か学校の校庭でサッカー、川遊び、友達の家でゲーム

こういった状況下で育った8年間を振り返ってみたいと思う。その後、現在振り返ってみて思うことを述べる。


中学時代

~初海外、パラダイムシフト~

閉塞感を感じ始めたのも、中学3年の時に初めて海外(韓国)に行ったことがきっかけだ。

家族旅行で韓国に訪れたのだが、そこで現地の人に道を尋ねる機会があり、言語が通じないという体験をした。

同じ地球上に住んでいて、「喋っている内容が理解できない、自分の思っていることが表現できない、伝えることができない」という人生において経験したことない事に直面した。

この時に頭の中で、何か凝り固まった何かが外れる気がした。頭の中がものすごく広くなった。

今思うとこれが自分にとっての人生において初めてのパラダイムシフトだったのだと思う。
常に同じ環境下で育ち、毎日同じルーティン、関わる人々はほぼ同じ、凝り固まった考え方に頭が洗脳されていた。

それからは、もっと外の世界を知りたい、海外に行ってみたいという思いが強くなった。

高校時代

~教室裏の張り紙がきっかけ~

地元の高校に進学して間もなく、教室後ろの掲示板にある張り紙が掲載された。

州立モンタナ大学高校生派遣事業 派遣生徒募集

見た瞬間に「これだ!!」と思い、すぐに担任と親に相談し、応募した。
書類審査、面接を通過し、人生2度目の海外、ましてや自分が行きたかったアメリカに行けることになった。

行き道の途中、空港で撮影

アメリカには同じ県内高校生30名で参加することになっていた。今まで地元の友達としか繋がりがなかった自分にとって、市内の高校生たちと交流することはワクワクしていた反面、ビビッていた。
予想通り、自分の高校よりも偏差値が高く優秀な人たちばかり参加していて気が引けていた。

かつ、ここで自分は挫折を経験した。
アメリカに行くまで自分は「宇宙飛行士になる」という夢を掲げていたのだが、なんとこの事業に参加した生徒の中に同じ夢を持つ同志がいたのだ。

その同志はとても優秀で、自分よりも夢に対しての熱量が違った。
何が違っていたか、それは自ら行動を起こしているか否か、思いにとどまらず彼はしっかりと動いていた

彼が中学3年の時に隣接する高校で宇宙飛行士が訪問して講演する機会があった。
その時、担任に何度も頭を下げ、

授業を休ませてください、今、隣の高校で自分の憧れる宇宙飛行士の講演があっているんです、行かせてくださいと直談判したんだよね

と彼は言っていた。

同じ状況だった場合に、自分は担任に直談判しに行くだろうか、と考えた時に答えはNOだった。

アメリカに滞在したのは2週間ほどであったが、その中で自分は英語力を学んだというよりは、自分の夢や目標設定を再確認することができたと思う。

帰国後は自分よりも優れた人がいる以上頑張らなくてはと思い、英語学習に力を入れつつ、できるだけ上のランクの大学に行けるよう勉学に励んだ。


~だらだらと過ごす毎日が仇に~

とはいえ、やはり時間が経てば自分の中での意思を保つのは難しく堕落した高校生活を過ごすことになる。

2年時に特進クラスに入ることはできたものの、部活や遊びを優先してしまい、勉強が疎かになっていた。
志望していた旧帝大クラスも判定はC以上をとることができずに毎日をだらだらと過ごしていた。

そんな中ある日、学年主任に呼び出された。

〇〇大学のAO入試を受けてみないか? 海外にも行ったことあるし、その経験を活かせば上手くいくと思う。

その話を聞いて、正直自分の中では嬉しくはなかった、というのも志望校のランクを一つ下げることになるからだ。しかし、AO入試なので10月に合格がきまり、センター、2次試験を勉強しなくても良いというメリットもある。

色々と悩んだ末に、

自分は志望校のランクを落として、AO入試を受けることにした。妥協してしまった。しかし、早く勉強から抜け出して楽になりたかった。

そしてAO入試を受けて合格し、大学は地方中堅国立大学に進学することにした。
当時一緒に勉強していた同クラスの友達は、旧帝大以上や医学部に次々と合格していった。

とても悔しかった、どうしてあの時妥協したのか、もう少し勉強を頑張っていれば、という思いに駆られた。

後悔しても仕方ないので、大学でこの雪辱の思いを晴らそうと胸に刻んでいた。


~Google行きたいですと言って打ちひしがれる~

高校3年時、進路先も決まり落ち着いた時期に先輩の紹介で地元のIT企業の社長に会ってお話する機会があった。

今でも鮮明に覚えているが、その社長に「将来何したいの?」と言われ、
自分は「Googleに行きたいです!!」と答えた。

IT系に興味を持ち始め、世界で一番大きな会社で働きたいという思いから、言ったのだと思う。

社長から

Googleで働くような人は、君と同い年の時にはもうGoogleに出入りして働いているよ、ましてや中学くらいから出入りしてる人もいるかもね、つまり何が言いたいかというと、世界には理解できないくらいの天才や優秀な人たちがいるわけで、そんな人たちに闘いを挑むのは難しいよね。しかも中堅国立大だとなお更だよ。東大とかならわかるけど。もう少し勝てるフィールドで勝てるように工夫した方が良いよ。そうじゃないとずっと苦しむ、幸せじゃない人生を送るかもよ。


と言われた。

この時、まただ。口だけで何も行動できていない。また、自分の現状の立ち位置を理解できていないことを痛感させられた。


大学時代

高校では口だけで何も動けていなかった自分を変えようと、とりあえず口にしたことは実現、行動することを心がけた。

大学では主に作曲活動やIT系の勉強、起業に力を入れた。


~作曲活動を通して、自分の微力さに気づく~

作曲活動は、自分自身が中学時代からEDMというジャンルが好きであったため、作曲してみたいという思いが強く始めた。

作曲活動中に地元が未曾有の豪雨災害に遭い、それに対して何か助けになればと思い、自分の作った曲を売って全額寄付しようと考えた。

そこから作曲を始め、曲をApple Music, Spotify等でリリースした。
実際に曲を聴いてくれる方、買ってくれる方のおかげで収益があがり、地元に収益全額寄付をした。

作曲してリリースした曲のジャケット画像

地元に貢献することができ良かった~と思う反面、微力すぎた、自分はまだ力不足だと気づかされた。

自分自身に力がない状態で、何かをやっても微力であり、まずは力をつけるところから始めなくてはならないと感じた。


~資格取得で基礎固め~

大学2年時からIT・会計・英語の資格勉強を毎日6時間以上行うようにした。
そのおかげで現在までで取得できた資格として以下に挙げる

・情報処理安全確保支援士(登録セキスぺ)
・電気通信主任技術者(伝送交換・線路)
・第一級陸上無線技術士
・工事担任者総合種
・CCNP Enterprise
・DEVASC
・情報セキュリティマネジメント
・ITパスポート
・簿記2級
・TOEIC 790

勉強に使用した教材一覧


~学生の悩みを解決したい、起業~

ITの中でもネットワークやセキュリティに関してはある程度知識があり、力もついてきたころ、
大学の友達から悩みを聞き受けた

この前就活の面接だったんだけど、画質が悪かったり、面接官の声が途切れたりで大変だった。
通信環境もっとよくならないかな~、面接のためだけに家から場所移動するのは大変なんだよね。

確かにコロナ禍になって大学ではリモート授業、就活ではオンライン面接が主流になっていた。

大学のテスト中に通信環境が悪く途中でZoomを退出している生徒や、自分自身も提出物を大学のポータルサイトにアップロードするのに10分要するなど、学生は頭を悩ませていた。

このようにこれからの日本を担う若者の機会損失が通信環境の劣悪さによって起こっていた。

この状況を変えたいという思いから、電気通信事業を行い、独自の回線を大学周辺のアパートに敷設する案を考案し、会社を設立した。

スイッチやルータでの検証


〜思いもよらぬ企業から内定をいただく〜

自分の会社を進めていく中で、ちょうど就活の時期ということもあり自分の専門とするネットワークという業界でトップ企業にエントリーしてみることにした。

就活に関しての詳細は以下の記事に


結果として、そのトップ企業に内定をいただくことができた。
自分の会社を続けていくか、内定を承諾するか迷ったが、自分のファーストキャリアとしてのブランド、世界のトップ企業で働いてみたいという思いがあり内定を承諾することにした。

内定をいただいた会社のオフィスがあるビル

Googleと比較すると少し劣ると思うが、同じ外資系IT企業に内定をいただき働くことができると思うと、高校3年時に一度は打ちひしがれたが、本当にここまで諦めずに毎日力をつけてきて良かったと思っている。

口だけに終わらず、最後までやり抜くことができた。
これは自分の人生においてとてつもない財産になると思っている。


8年間を振り返っての今

8年間生きてきて、悔いがあるかと言われると、ないと答えるが、自分モードで生きてきたのかと疑問に思うことが最近よくある。

というのも、今までの人生、他人モード、他人の価値観に流されていた気がしたからだ。

偏差値、模試の点数、担任の考え、学年主任の提案、地元に貢献するなど、ありとあらゆる物事において、必ず他人モードで生きてきた時間は存在した。

特に最近思うのが、「地元や地域、社会に貢献する」、「人の役に立つ」というワード、そりゃ聞こえはいいが、果たしてそれは発言している本人の幸福度につながるのかと疑問に思う。

しかしながら、そういったワードを用いなければ、人は動いてくれない。またビジネスにおいて人を動かすというのは、とても重要なスキルであり、つまり他人モードで生きていける人ほど仕事ができるという現象もおこりうると思う。

そういった人たちはふと気が付いた時に、

「今自分がしていることって本当に自分がやりたいことだっけ?」


となりバーンアウトを起こすだろうと自分は思う。


自分も現在、同じような感じだ。


だからこそ、自分は最近自省する時間を多くとるようにしている。特に妄想する時間を多くとっている。

幼少期、何もないLEGO盤に自分の好きなようにLEGOを組み立てていくように、白紙に自分が好きなように妄想したことを描いていく。

妄想するときに重要なことは決してロジックで考えずにとにかく面白いとおもったことを考えてみることだと思う。論理的な思考が入ると必ず他人モードに脳内がシフトするからだ。


最近妄想していたことは、

キャリア通信料金が1000円くらいでダウンロードが1Gbpsでるくらいの通信環境が全世界どこでも実現する

である。


この妄想したことを今度は論理的に考え、実現に向けて動いていく形になると思う。

今はまだ妄想段階、これから妄想を繰り返す事で、自分モードを確立して生きていこうと思う。


まとめ

この記事で一番言いたいことは自分モードでもう一度考えてみようということだ。

これは自分自身に一番問いかけたい言葉だが、これを見てくれている方にもきっと言えることだと思う。

特に地方田舎では他人モード、他人の価値観がひどい程混在している。そういったなかで自分モードになる時間を1日数分でもいいので、作ることをおすすめする。

また妄想することの重要性を述べたが、妄想力には自分の経験値が比例すると思う。新たな体験を増やし、自分の中でパラダイムシフトを起こしてみることが最善策だと思う。

個人的におすすめなのは「東京の六本木辺りに行ってみること」だ。

六本木周辺

実際に大学1年生の時、知り合いの社長(Google行きたいですと言って打ちひしがれ、自分にアドバイスをくれた)が六本木に連れていってくださった。

その時に人生2度目のパラダイムシフトを起こしたの覚えている。

筆者が高校生の内に東京の六本木辺りを散策するという体験をしていたら、旧帝大ではなく、とにかく東京の大学を志望して進学していたと思う。

そのくらい東京という場所は地方と比べてカオスでパラダイムシフトが起こりやすい場所だ。
ある意味、自分モードになって物事を考えることができる場所だと思う。

その場所で、これから自分は自分モードで頑張っていく。

もちろんロジックも兼ね備えて。


あとがき

ここまで読んでいただきありがとうございます。
初めてこういった形で自分の自省した内容を文字に起こし、今までの人生を振り返りました。
とても頭の中が整理され、「自分ってこんな考え持ってたな~、でも今はこういったところに幸せを感じるな」など自分の考えや価値観を再確認できました。

表現的に地元をディスっているように思われるかもしれませんが、別に地元が嫌いなわけでないです。
ただ、生まれた土地によって、子どもや若者の選択肢が人為的要因、環境要因で狭まるのを防ぎたく思っているだけです。逆に若者たちがしっかりと力つけなければ地方田舎の未来はないと思います。その上でも若者には一度地元を離れて上のレベル感で力をつけていく必要性があると思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?