「地下室の手記」

ドストエーフスキイのこの著作を初めて読んだのはかなり前だが、筋書きは割とシンプルで、一読した人ならすぐにこれこれこういう話、と言いふらしたくなるだろう。
さて、文庫本で4、5回は読み返したと思うこの著作だが、今から本棚の奥にある本を取り出しても、本の小口が手垢によって変色していてなんか不潔だろうなと思ったので、電子書籍で買うことにした。
で、この本は地下室にこもっている四十歳の男の語りという形式である。ドストエーフスキイのファンなら誰でも、この本はドストエーフスキイ全作品の謎を解く鍵だ、という言説を耳にしたことがあるだろう。かく申す私も、文学に感動を求め、世界的巨匠とされるドストエーフスキイの文庫本全作品を読破する、ということは昔やった。しかし物語が分かりやすく感動できる、というものは少ない。「カラマーゾフの兄弟」だって読んだから偉くなるというものではない。ただ結末でコーリャが「カラマーゾフ万歳!」と叫んでいるのを読み、長々したこの物語を読み終えたんだなぁと感慨にふけったことは記憶にある。
さて「地下室の手記」であるが、そもそもなぜ今回これを再読しようと思ったのか、忘れてしまった。まあ「カラマーゾフ」「悪霊」は特にかなり読み返したし、短めのを読みたいと思ったので買ったわけである。この地下生活者は、ラスコーリニコフとかイヴァン・カラマーゾフのようなインテリゲンチャに見える。しかし現代日本の、ちょっと教育を受けた中年のモノローグ、のようにも読める。19世紀という時代の話だが、特に古さは感じさせないし、むしろ近年のひきこもり小説家とかの自伝的小説に似たようなものを感じる。
で、この本を読んで特に得るものはないというか、ラスコーリニコフのような自意識過剰すぎる人物は好きでないし、べらべらしゃべるだけで行動をろくにしない、というのは面白くない。ただ、地下生活者がかつての同級生のお祝いの席に行ったり、その帰りに娼館に行き説教をし、後日やってきた娼婦に5ルーブリ札を握らせるも返されてしまうというのが話の筋である。
現代ではごく普通にありそうな話、という意味では、これを19世紀に書いたドストエーフスキイの先見の明というか、現代のわが国との縁を感じるような文学であることはすごいことである。

そんなわけで、特に感動を受けなかった今回の読書であるが、再来週には「文藝春秋」が出ていて、サンショウウオの話が掲載されると予測されるので、ぜひ読んで感想を述べようと思う。
来週は、もし読み終わっておれば岩波文庫の「プラグマティズム」について感想を述べるものとしたい。

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