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【感想】「つもり」をもって物語を観る。〜グエムル/漢江の怪物 をみて考えたこと。

先日ポン・ジュノ監督の「パラサイト」が
アカデミー賞(作品賞)を受賞した。

観たいと思ったが
映画館はしばらくは混むだろうと思って家で
同監督の別作品、「グエムル/漢江の怪物」をNetflixで観た。

ネタバレしない程度にあらすじを
書くと、(ネタバレも何もない映画だが)

貧困層で実家の売店で働く
シングルファザーの男。
その娘が
化学物質の不法廃棄が原因で
生まれた化け物に拐われてしまい、
社会的にはダメ男の父、
売店で働く祖父、
大卒で無職の叔父、
アーチェリーの銅メダリストの叔母、
の4人で
漢江の排水溝に助けに行く話。

なのだが、社会的な背景や分析は抜きに、
単純に「物語」としてみたときに
一口に「〇〇映画」と
言いづらい映画だと感じた。

それが、いい悪い、ではなくて
なぜそういう印象になっているのか、
というのが不思議だった。

一見するとモンスターパニック、と言えそうだが、
それはモチーフがそうである、というだけで
みた時の感情の問題を考えたい。


「つもり」が観る人の印象を決める。

作中で面白かったのは
妙にコメディがかった演出があったり、
シリアスだったり、痛そうだったり、
ホラー映画的だったり、アクション的だったり、
と、受ける印象が目まぐるしく変わることだ。

まるで「ディズニーランド」のように
ファンタジー世界あり、ウエスタンあり、
ホラー、SF、などシーンによって
違うジャンルの映画に感じたのだ。

しかし、それをなぜ「コメディらしい」
「シリアスそう」「ホラーっぽい」
と感じるのだろう。

人は多分、映画を、そして物語を見るときに
「つもり」を持ってみる。

感動する「つもり」でいる、綺麗な世界を観る「つもり」
可愛い子を観る「つもり」、アクションでスッキリする「つもり」。

などなど。。
みる前に予告編や宣伝、絵柄、色味、
ポスター、俳優、タイトル、上映館、、
などなどあらゆるところから受ける印象で、
その「つもり」を自分で作っている。

そのできた「つもり」が怖そうなものはホラーと言われ、
感動しそうなものはヒューマンドラマ、と
言われるのではないだろうか。

「つもり」を持つということはつまり、
その映画を観る印象のゴールを、無意識に設定している、
ということでもある。

その「つもり」を少し超えて満たされるものは面白い、と感じ、
悪い意味で裏切られると「つまらない」と感じるのではないか。


そういう意味で
「グエムル〜漢江の怪物」は
どういう「つもり」で観ればいいのか
わからないところが多かった。

ただ、その物語を「それそのもの」としてみたとき、
面白い、とは何だろうか。
と考えさせられる映画だった。


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2/10の予定:
おふくちゃんネーム。
コッペ連載の1-8話の大まかな流れを決める。
日課にする「動物似顔絵」のフォーマットを考える。

2/11の日記:

朝は8:00頃起きる。
祝日はコルクに行かない日で、奥さんも休みだったので
朝ごはんをゆっくり食べる。
奥さんが作った、
カリフラワーとほうれん草を炒めたものと目玉焼きを
小麦粉をクレープ状にしたものと食べる。
成城石井の500g1000円のコーヒーを飲む。

買い物に行き、出先で佐渡島さんと電話打ち合わせ。
何も考えずに描き始めて訳が分からなくなってるので
「8話分のあらすじ」を8枚の紙芝居風にして考えてみることになる。

帰宅し、奥さんがうどんの麺でフォーのような麺を作る。
玉ねぎの薄切り、パクチー、鶏肉を載せたもの。
煮干しと鶏肉のダシで、魚醤の風味がする。

その後8枚紙芝居風のあらすじを作ったりする。

夜は白菜と豚肉の鍋と赤カブのサラダを食べる。
「グエムル/漢江の怪物」をNetflixで観る。

風呂に入り、筋トレして、少し本を読んで、寝る。

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