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私が思う何をすべきかより大切なこと。

”将来”の夢は?
そんなことを話さなくなったのはいつからだろう。
その将来って、大人になった
「今」を指してるのだろうか。

1.はじめに

私の現在は、
「30代は…」とか「2~3年後は…」とか
話していて、それには具体的な
自分の想像している姿と何をしているかは
セットで。

あれ、小さいときは
「将来は、花屋さんになりたい」
「学校の先生になりたい」
とか、見えない将来に職業を照らし合わせて
その職業や仕事に実際に対面した瞬間に
将来という言葉が消えてしまったのは何故だろう。

2.キラキラして見えたもの

「将来、○○(職業)になりたい」
そこに見えたものは、何だったのか。
・笑っている自分
・ハッピーな自分
・幸せをもらった体験
その姿経験に、憧れトキメキ
抱いたのか。

だとしたら、将来何になりたいか
という手段の前に
見るべきは、その職業をどう捉えているか
どういう姿にときめいているのか
に行きつくのではないだろうか。

3.将来にゴールはない

もちろん、幼い時と比べて、
知識も経験も情報量も増えてる。
だからこそ、選択肢も増える。

ただ、大学を卒業するまで
私たちは、何になるのか
どういう仕事につくのかを考え、
お金と安定とプライドとがくっついて、

将来=職業がゴールになった私たちは
将来を語らなくなる。
ゴール設定がココにあることで
私たちの前から突然「将来」という言葉が
消えてしまう。

4.将来の定義を変える

私は、大学のころから
将来の定義を変え、
「自分がどうありたいか」
だけを考えている。

自分の人生のおっきなテーマでもある
「等身大の体現」
ここからぶれることはしたくない。

解像度なんて高くていい
自分がどうしたいのか
その素直な感情が一番自分をワクワクさせる。

5.将来の夢は?

改めて、将来の夢は何だろうか。

コロナや社会情勢に加え、
周りの人、色々な条件、環境が
私たちの人生には関わってきているわけで、

無条件に自由にいつでも
持ってもいいワクワクや夢は何だろうか。

私は、めちゃくちゃ解像度高く言うと
この前、
宮崎の人を街をもっときらきらに
ずっときらきらにしていたいという
言葉が出てきた。

いっつもnoteを書いて思う。
私は私であることを誇りに思う。

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