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お茶を飲んで育った話

こんばんは、ともみです。

私の地元は静岡なのですが、静岡と言えば「水道からお茶が出るって聞いたよ」って他県の人に言われるくらい、お茶で有名な県です。

ちなみに水道からお茶が出ることはありませんでしたが、小学校の給食ではやかんに入ったお茶が各教室に支給されていました。

私の実家では食卓または台所に急須と湯飲みのセットが常設されており、家でご飯を食べた後には必ず父(父がいない時には母)がお茶を煎れてくれていました。

父が煎れていた理由は、父の方がお茶へのこだわりが強かったからです。
母は、急須にだばだばと熱湯を注ぎ、そのままお皿を洗っているうちにうっかり忘れて渋~いお茶になったりすることがよくあったのですが、父は、お茶を煎れる時間にはそこにだけ集中し、おいしいお茶を煎れるところに全神経を注いでいるようでした。

事前に湯飲みをお湯で温め、一煎目は熱湯から冷ましたぬるめのお湯で少量だけ煎れてお茶の香りと甘みを楽しみ、二煎目では熱いお湯で量も増やしていただく。
当時は知りませんでしたが、それが美味しいお茶の煎れ方なのだということを知ったのは社会に出て働きだしてからだったと思います。

大学に入って1人暮らしを始めてからは、お茶習慣を持続することはできずに今に至るのですが、毎日のように美味しいお茶を飲んで育った私は今でもお茶が大好きで、仕事をしている時はペットボトルのお茶もよく飲むし(最近はプラスチック削減のために少し控えるようになりましたが)、職場の給湯室に備えられているティーバッグのお茶もよく利用させてもらっています。しかし、たまに実家に帰って煎れてもらったお茶を飲むと、衝撃を受けるのです。

「なんておいしいんだろう!!今まで飲んでいたお茶はお茶じゃなかった!!」

本当に些細なことではありますが、毎日毎食後、真心込めて丁寧に煎れられたお茶を飲んで育ったことはとても贅沢で幸せなことだったのだと思います。

20代の青春の日々は、家でのんびりする時間も惜しく、バタバタと走り回って家に帰ったら寝るだけのような生活をしていましたが、コロナの影響で家で過ごす時間がぐんと増えたことも相まって、自分の生活の質も見直していくときだなと感じています。
日常の中で些細な幸せ、喜びを作り出しながら、日々の生活を楽しむ年頃に入ってきたのかなと感じる今日この頃です。

なんだかしんみりした締めくくりになってしまいましたが、今週も一週間、お疲れ様でした!

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