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故郷と生きる音楽 ミュージシャンyoshitoo!が歩いてきた世界


2019年5月、ニューアルバム「OokinaWA」を、同月にわ~るどチャンプルサウンドユニット・八重山モンキーでも初のフルアルバムをリリースしたミュージシャン、yoshitoo!(よしとー)。

音楽での活動に加え、石垣島内でのミュージックバー「cafe & bar 山内ツル子」を経営する彼は、太陽のように明るく、そして波のようにやさしい人柄で、触れ合う人々に愛を実感させる。

彼の中にある音楽の核はどのように生まれ、そして今どのように変化しつつあるのか。
沖縄を愛し、自然を愛し、人を愛する彼の心に深く潜っていく。


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●こんにちは、まずは確認までに生年月日と出身地区を教えてください。

えーとね、沖縄県北谷町出身、昭和55年9月1日生まれで、今年で40になりました!

●おめでとうございます!40歳の抱負はありますか?

健康!それと「心に愛を」。(笑)


●去年(2019年)はよしとさんのソロアルバムも出て、八重山モンキーもアルバムをリリース。同時期にリリースして活動が被ってしまった中で大変なことはありましたか?

いや、別に(笑) (りょーさーにーにーが)きいやま商店で忙しいのはわかってたからね!
個人的には八重モンのレコーディングの直後にソロのレコーディング…次は八重モンって交互にずっと続いてて頭ごちゃごちゃしてました(笑)

●yoshitoo!さんはそんな忙しい中でも、直近ではTwitterでタコライスの唄を発表するなど、コンスタントに曲を作り続けています。仕事に追われながらも新しい曲を作く、その原動力は何ですか?

26歳の時に音楽で生きていくって決意して。嫌いなことやってもストレス溜まるから、どうせストレスを受けるなら好きなことで受けた方がまだいいじゃん?
もうライフワークと思ってるから、全然大丈夫って感じ。逆に嬉しい、みたいな。

●音楽を決意した26歳のyoshitoo!さんは、その翌年の2003年、27歳でオーストラリアへと旅立ち、アルバム「TABI no UTA」を完成させています。海外へ行こうと思ったきっかけは何ですか?

その時、「わ~るどチャンプルーバンド・八重山モンキー!」とか言いながら、韓国ぐらいしか行ったことなかったわけよ(笑)何がワールドチャンプルーバンドよ!みたいな(笑)
で、ちょうど俺が18歳のころから島を出て福岡に住んで、27歳の時ばーちゃんが危篤になったわけよ。
島を出てから9年経ってて、みんなからも(島に)戻って来いって言われてて。
でも、9年って半端に思ってて。9年で帰るよりも10年!キリがいいと思って。
だからあと1年、わがまま言わせてもらってワーホリに使ったわけ。
それでどこに行こうか悩んだときに、オーストラリアに決めたわけ。「離島だ!」と思ったから(笑)

●オーストラリアを離島と感じていたんですか(笑)

そう!(笑)

●じゃあニュージーランドは?

ニュージーランドは…「超離島」!(笑)

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「ワハハ」と爆笑するyoshitoo!さんと筆者。めっちゃ楽しいインタビューだったなぁ。

●でっかいすよ、ニュージーランド!

でかいよね!(笑)
俺も馬鹿だなーと思ってたんだけど、外国に行くのは初めてでさ、カナダとかいろいろ悩んだけど、カナダは大陸じゃん、全部陸続きで。
オーストラリア見たときに、「あい、離島だ!いいね!」と思って。でもオーストラリアに行った後、更にそこの離島のタスマニアまで行った(笑)

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●一年はオーストラリアに滞在して、その後も様々な国に行ったという話を以前から聴いていたんですが、その中で衝撃的だった国はありますか?

あ~…インド
「インドに行けば人生観変わるよ」って言われるじゃん。
俺思ったわけ。多く見積もってインドでは7回くらい死にそうになった(笑)
二人乗りのバイクタクシーがあってさ。めっちゃ細っそい路地をバイクの大群が走ってて、そこに逆走で突っ込んでくわけよ。
「うわー!危ない!死ぬ――――!」っていうのが7回くらいあった。

●一回乗っただけで7回も、ですか?

いや、毎日3回ずつ乗ってた、だから毎日死にそうになるさ(笑)
しにいっぱい車が行き来してるわけ。で、俺ギター担いでたけど、それが行き交う人に当たらないように避けてたわけ。必死に。
そんな中で、ちっちゃい男の子が道路の真ん中で立ちションしてるわけよ、やばくない?(笑)
インド、カオスすぎるやっさ…ってなった(笑)

●インドはどのくらい滞在しましたか?

インドは3週間くらい!
最初はワジってた(怒ってた)けど、途中から笑いになっていって。
コーヒー屋さんでコーヒー飲もうとしたら「ない!」って言われて、
チャイ屋さんでも「ない!でもコーラはある」みたいな(笑)
でさ、日本人だから“買え買え攻撃”してくるわけ。
体中に太鼓ぶらさげて売ってるおじさんがいてさ、大小いっぱいあるわけ。
最初に「でっかいの買え」って近づいてくるわけよ。 こっちが「いらん!」って言っても
「じゃあ小さいのはどう?」ってちっちゃいの出してきて。 また「いらん!」って言ったら
今度は何ポケットからキーホルダーみたいなめっちゃちっちゃい太鼓出してきて(笑)

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当時の押し売り太鼓おじさんへの怒りを思い出すyoshitoo!。その表情は実に真剣であった。



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「あんな太鼓いらん!💢」と怒るyoshitoo!



●インドの経験が入っているような曲はありますか?

まだないさ~(笑)さすがに自分の中で分解しきれてない(笑)





「迷ったら婆ちゃんを思い出せばいい」

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●他の国に行って違う文化に触れると、自分の持つ文化と照らし合わせるじゃないですか。
外の文化から見た沖縄ってどう感じましたか?

基本、アジアの国々と沖縄って一緒だなーと思うわけ。
似てるとこいっぱいあったわけ。台湾とか。
外国なのに、沖縄に似てるって感じる。 「なんなんだろう、この安心感」ってさ。
それを違う国で感じるのはなんでだろうって。 沖縄じゃないのに。初めて来た国なのに。
これは自論だけどさ、それって“人間らしさ”と思うわけ。
貧しいけど、貧しさの中に幸せを見つけられるのが沖縄の人さ。
他の国の人たちもさ、人間らしいんだよ。子供が当たり前に笑ってて、当たり前に女の人が強くて。
沖縄に似てるなーじゃなくて、もともとそういうものを持ってる人間らしい人たちだから安心するんだなって。

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yoshitoo! 29歳。インドにて。



●その国の人間一人一人の本質的な部分が近かった、という感覚ですか?

そうそう。

●それを知った後と、今までの自分の作ってきた音楽。経験した後では何か変わりましたか?

変化というよりも"確信"だね。
なんかもう…「やっぱり愛だな」って思える。
20代の最初らへんから「愛だー!」ってなかなか言えないでしょ?(笑)
でも今までいろんなことを経験したから、愛だなって本当に思う。
もし大切な人が傷つけられたら、俺は傷つけた人を許せないよ。
なぜなら愛しているから。
愛ゆえに、凶器にもなるし、平和にもなるし。だけど俺はいつも戦争反対だよ(笑)
昔はかっこいい音楽を作りたかったけど、今は聴いてる人にも、自分にも、愛情をもって音楽に変換できたらいいなって思う。難しいね。

●歌詞を書くうえでも大事にしているのはそこですか?

やっぱりそういうことでばーちゃんとか歌詞によく出てくる。
それを実証してくれた人こそがばーちゃんさ。
あれは間違いなく愛だった。
迷ったらばーちゃんを思い出せばいいんだよ。

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大きなガジュマルの下で雨宿りをしながら、yoshitoo!さんは自らの生きてきた道のりを振り返ってそう呟いた。





●今やyoshitoo!さんの代表曲にもなっている「OokinaWA」はどうやって作られていったんですか?

俺の父ちゃんが…2012年で亡くなったんですよ。その傷心旅、じゃないけど、もう一回オーストラリアに行ったわけよ、3か月間。
そのとき、あと一週間で帰るって時に、なんかこの…ずーっと心にぽっかり穴あくわけでしょ?
なんかこう、(自分の気持ちや経験を)“変換”して持って帰りたいって思ってたわけ。
その最後にできたのがOokinaWAだから、ばーちゃんのことも入ってるし、父ちゃんのことも勿論入ってるし、
帰ってからの生活のこととか…やっぱ沖縄帰るって思ってたし、そんな「帰る場所」のことを思って作ったような感じがするな。

●その旅の中では他の曲も生まれましたか?

うん、ゆんたswingとか、音の鳴る方へとか。

その旅で出会った方の奥さんが音の鳴る方へのPVを作ってくれる等、出会いを大切に思っているyoshitoo!さんならではの繋がりが新たな作品を生み出すことへ繋がっている。


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yoshitoo!さんが当時作った曲をフルアルバムにしたものがOokinaWA。旅をし続けたから作られた曲や、今までの人生によって生まれたyoshitoo!さんの人間性を詰めた1枚。

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●これからの目標はありますか?

今ライブもないじゃんね。だから、新しい楽器を練習して弾けるようになりたい!
ベースとかトランペット・ピアノ…サンプラーも練習してるわけ。横笛とか。

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●同時に色々やりますね!(笑)

そういうのをループステーションに入れたいな~、それが目標(笑)


●今作ってる曲はありますか?

うん。歌詞はぼんやりだけど、こんな時期だから元気なるようなさ。
せっかく生まれてきたんだから、人生を謳歌しないともったいないって思っちゃうわけよ。
友達と一杯時間作ったり、好きな人との時間を作ったり…っていう時間はまだあるさ。
コロナでもさ。まだ俺たちは捨てたもんじゃないさ、幸せになるために生まれてきたから。
そういうのを音楽で表現できたら最高だな。


●音楽をしていくうえで、聴いている人たちにどんな思いを伝えたいですか?

なんか、歌詞とか具体的なことを言って、ではなくてさ。
自然の風景があるさ、夕焼けとか、あやふふぁみを見てさ、「わぁ」って感じるさ。

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※夕暮れと夜の間、暗闇と光が混ざり合った時間を「あやふふぁみ」と言います。

あんななってくれたら最高。
言葉には表せないんだけどさ、その人の気持ちや心がそうなってくれたら最高。
聴いて、心地よくなって…自然の中にいるときの自分を思い出してくれたら最高。


●画面の向こうで見ている人たちへのメッセージをお願いします。

「俺もだよ。」
大変だけど、一緒だよ。





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yoshitoo!(よしと)

沖縄県北谷町出身、1980年9月1日生。
世界中を旅しするオキナワン・シンガーソングライター。
ギター・ベース・ドラムや故郷である沖縄の三線を巧みに使いこなし、日々の新しい出逢いの中で常に音楽を進化させ続ける。
世界中の音楽や、沖縄の音楽を自らの内側にあるものと融合させながら確固たる音楽性を確立するマルチジャンルアーティスト。
音楽だけでなく、旅した国々で出逢った人々との写真や、空間を演出するインテリアのコーディネートなど活動の幅も広い。
2019年にはソロアルバム「OokinaWA」をリリースし、音楽によって故郷・家族・友人・恋人たちが抱く「愛」に対してのアプローチをする。



撮影:MaveFotografia(マベ=フォトグラフィア)
1994年11月27日、フィリピン人の両親のもとに埼玉県で生まれる。
瞬間を捉え、物語を想わせる写真の魅力に惹かれ、2010年からカメラを手に取り始め、高校卒業後に両親の故郷であるフィリピンで師と出会い、アート活動を始める。
2017年からMaveFotografiaとして日本で活動し始め、2019年夏には沖縄県石垣島の映画館ゆいロードシアターにて個展を開催するなど新進気鋭の若手写真家。
モデル・ライブ・アートなど様々なジャンルを独自の目線で見つめ、不可逆的な時間・空間をその目で捉え続ける。

さいごまで読んでいただき、ありがとうございました。 もしよろしければ「スキ」や「シェア」をしていただけると嬉しいです。