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豪州水泳コーチ留学【大学脱出編】

海外の大学は入るのはさほど難しくはないものの
卒業するのが超大変だ…

そんな話はよく聞いて知っていた。

ただ日本のように出席だけはして単位は落とさずに
成績は超低空飛行をしていても墜落さえしなければ
卒業できる…

いや、やっぱりそんななまぬい世界ではなかった。

これまで幾度となく壁にぶつかった事はあったが
あっさりと諦める、私は諦めの早い人間だった…


罪悪感を感じつつ親に相談する


現状の成績では卒業するのにあと何年もかかる…
もう諦めモード99%で親にとりあえず連絡をした。

母は「またか…」と思ったに違いない。

大学までいれてお金を掛けたのにあっさり諦めて
しっぽ丸めて逃げ帰ってくるのか!って…

私も今三人の愚息の親になったからよくわかるが
私はどうしようもない「ダメ息子」の典型だ…

叱られたのは間違えないがあまりよく覚えてない。

父はあまりモノを申さない。単身赴任をしていて
家にあまりいなかったので現状報告を母に頼んだ。


父から届いた一通の手紙


2000年の前後はインターネットの普及し始め。
Eメールはあったものの連絡手段は手紙が多かった。

母からはよく手紙をもらっていた記憶があったが
父から手紙をもらった記憶はほとんどなかった。

そんな父から珍しく手紙が届いた。

達筆な字で書かれた手紙には…

「お前は知り合いもいない地球の裏側の異国で

 英語もままならずも大学にも入って勉強して

 卒業は難しいといえど十分頑張ったのだから

 もう帰ってきても構わないんじゃないか…」

と…


本当に十分頑張ったのか


人間とは何とも不思議な生き物で…

"もっと頑張れ!"と言われると"もう頑張とるし!"
と思うけれども…

"お前はもう十分頑張ってる!"と言われると…

俺って本当にやれる事全部やりきったのか?!
俺って本当に頑張っているのか?!と…

考えさせられるものなのかもしれない。

ちなみに父は某大学の心理学の教授をしていた。
臨床心理士… どんなのかあまり良く知らないが。

その後色々考えた末、卒業できるかは別として…
やれる事は全部やりきってみよう!と思い直した。


大学脱出(卒業)大作戦決行!


ここまでくると不思議なもので失うものもないので
開き直っているから何でもできる気がした。

まずは大学のトップ、校長のアポイントを取って
相談に乗ってもらう事にした。

相談といえど、第一声に話した事は確か…

「現状では卒業ができないので国に帰る」

とネゴシエーションを始めた。要するに交渉開始。

案の定、校長先生は…

「異国まできて頑張ってきたのにもったいない」
「何とか卒業する方法を一緒に考えよう」

と優しい言葉をかけてくれた。

校長先生のジムには本当に感謝しています、はい。
あれ、トムだったっけ…

まずは校長と成績表を見ながらにらめっこ。

校長「なぜこの単位を落としたんだ?」
私「レポートが間に合わなくて諦めました」
校長「じゃあレポートを私に出しなさい」

私「この落とした単位、日本で似たの取りました」
校長「じゃあ代用で受講しなかった事にしよう」

卒業に必要な条件は「5段階評価3.0」なのですが
そんな強引な交渉を続けた結果…

2.3だった成績が2.6まで回復した!

あと半期、良くしてくれた先生の三科目に絞って
平均3.4ぐらいの成績が取れれば…

そっ、卒業できるッ!!


とりあえず交渉してみる大切さ


ゴールが霧が晴れたかのようにみえてきた!!
残り半期は死ぬ気で勉強しました。

筆記テストはどうしても点数が取れないので
先生のところに何度も出向いて必死に交渉して…

「この教科でB(4)以上とらないと卒業できない」
「プレゼンとレポートで評価をつけてほしい!」

とダメ元で頼んだところ…

本当に筆記テストが無くなった。笑

レポートは家で時間をかければいいモノを書けたし
プレゼンはコツを掴んでいたので点が取れた。

結果、40名クラス中5位の成績をもらう事ができて
Aをゲット!何とか卒業にこぎつける事ができた。

本当にお世話になったジム校長

自己満足という達成感


人は何も言われなければ何もしてくれないけれども

交渉や相談をして困っている事をちゃんと伝えれば
みんな助けてくれる事を学びました。

諦めなくてよかった。

やり遂げた達成感は、何よりも今に活きている。

卒業したから何なんだと言われれば… んー
ただの自己満足かもしれないけれども…

はれて、私は胸を張って帰国する事ができました。
2002年の夏前…

恥ずかしい写真だけれどもここに残しておきます

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