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豪州水泳コーチ留学【大学死闘編】

私は国士舘大学の体育学部体育学科を卒業後
紆余曲折しながらオーストラリアの地に渡り…

The Australian College of Physical Education
(オーストラリア体育大学)
Sports Education Course
(スポーツ教育学科)

に1999年4月に入学しました。

オーストラリア体育大学は…

大学はシドニー郊外のオリンピックパーク内にあり
オリパラで使う施設は全て使う事ができました。

校舎はとても小さくて大学?と疑いたくなるほど。
3年制で学生は100名ほどでした。

オーストラリアの大学はほぼ国立。
その大学は珍しく私立で、体育の先生になるには
その大学を出ている人が多いと聞きました。

日本人は私のみでした。でもひとり…
日本語話せるモルディブ人の留学生がいましたが。
(山梨の大学に陸上留学していたらしい…)

大学での授業は想像以上に大変でした。
でも身体を動かす実技の授業は楽しかったですよ。

ラグビー🏉 (オーストラリアは何種類もある)
クリケット🏏
ホッケー🏑
柔道🥋もやりました(日本とはだいぶ違うけど)。


この学科の大きな魅力は…

この大学この学科では卒業の為の必須実習単位に…

トップ選手を指導するコーチのところに出向いて
練習を見学し学ぶ事を単位取得条件とする。

というものがありました。見学型教育実習…

その実習の行き先は、あえてアメリカ🇺🇸にして

オリンピックで金メダルを取った選手を育てた
マイク ボトム氏の元でお世話になりました。
(これは別途詳しい話を後日書き残します)

超最強スプリンターたちを育てた名コーチ

ちなみに実習は特に決まりはなくて
期間や実習先は任意。交渉も各自でしたので…

実習としてでははなかったものの
他にも沢山のトップコーチや選手の練習を
見学させてもらいました。

AISでトレーニングしているチームを皮切りに
ソープ選手、ハケット選手の練習も見に行き…

北島選手の合宿にも帯同させてもらいました。

この頃からかなり図々しさが身につきました。
勿論嫌な顔もされました。部外者の他人ですし…

日本人ですから。英語で嫌味も言われましたが
わからない振りをするのも上手くなりました。

それでも受け入れてくれたコーチや選手たちには
本当に感謝しています。

あの時の経験は、大学生をしていた中でも一番
今にも活きている素晴らしい時間でした。


卒業必須条件…

日本の大学での単位が有効になるものもあって
3年制のカリキュラムを私は2年ほどで卒業できる。

悪戦苦闘したものも多々ありましたが…
fail (単位取得不可)は最小限に留めてのらりくらり
必要な単位数は全て取得しました。

しかし卒業を確信していた矢先に
私の世話をしてくれていた事務員に呼び出される。

「君の成績では卒業できない」

どうやら話をよく聞くと…

卒業には成績の平均が5段階で3.0ないといけない

というではないか… 知らなかった💦ハヤクキヅケッテ

その時の私の成績は2.3でした。


卒業の見通しが立たない絶望感…

まさに万事休す。
あと何年かければ3.0まで辿り着けるのだろうか。

私には時間がありませんでした。

その時のすでに26歳。
親の脛かじりにもそろそろ限界があることも
重々承知していました。

シドニーオリパラも終わり、実習は個人的にも
頼めば受け入れてくれるところもあるでしょう。

私のそもそもの留学目的は水泳コーチングの勉強。
オリンピック、パラリンピックを間近にみて…

早く日本に帰って職につき、選手を指導したい。

大学卒業はいっそ辞めて日本に帰る…
という選択肢が私の頭を何度もよぎりました。

私はその時、最大の選択を迫られていました。

帰国するか、それとも…

つづく

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