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ペテンの流儀

人生にはペテンが必要だ。清廉潔白であるのがベストだが、それだけで渡っていけるほど世の中は甘くない。みんな、無意識のうちに、人生のそれぞれのステージでペテンを使って、うまく世の中を渡って行こうとする。
 
最初のペテンの発揮しどころとして試されがちなのが、就職活動だろうか。みんなそれまで自分の履歴書など書いたこともないから、どう書けばいいのかわからない。いや、書き方自体はわかる。履歴書を買うと、「書き方の例」みたいなやつも入ってるし。ネットを漁れば、模範的な書き方はいくらでも出てくるから、不明な点は解消されるだろう。
 
ただ、ああいったものを書いていると湧いてくるのは、「あれ、おれの人生ってこんなものなの?」という素朴な疑問だ。確かに学歴はこうなんだけど、これだけしか書くことがないのか……。就職活動に挑む人が無意味に資格を取りたがる理由がよくわかる。多少無意味でもなんか取っておかないと、「資格」の欄に書くことが何もないからだ。ちなみに僕は本当になんの資格もなかったので、「普通自動車免許」としか書くことができなかった。
 
だからみんなペテンを頑張る。バイトのときにどうしたとか、ボランティアをしたとか、短期留学をしたとか。採用担当に聞くと、掃いて捨てるほどよくあるのが、自転車で日本一周したというエピソードだそうだ。
 
学卒など純粋な人が多く、ペテンをしなれていないので、結構、精神に負荷をかけながらそれをやる。それを10社、20社と続けていくと、確かに疲弊するだろう。就活生が死んだ目をして信号待ちをしているのはそれが原因だ。

僕から言わせると、それはペテンの掛け方が違う。確かに自分の履歴書はまっさらだ。しかし、学生時代を振り返ってみるとわかると思うのだが、自分以外の人間だってどうせたいしたことをしていないので、同様にまっさらであるはずだ。バイトがどうこうなんていうことを言ったところで、どうせ本業の人間の実務能力にかなうわけがないのだから、下手なことは口にしないほうがいい。
 
ペテンをかけるならば、「自分にはこんなにも何もない、学生時代を棒に振ってしまった」ということを語ればいい。だから、こういう人間になるために、御社でこういうことがしたいんだ! と。何もない、まっさらである、だからどのようにでも絵が描ける、というペテンをかけるべきなのである。僕はまあなんかそんな感じでペテンをかけて、就職活動の1社目で内定を取り、二ヶ月ぐらいで就職活動が終わった。
 
自分に何もないということをさらしたのだから、ペテンではないのではないか? と思うかもしれないが、これはペテンだ。別に、自分にこの会社でこうなりたい、というビジョンなどないからだ。しかし、「自分には何もない……」という、一見すると弱い面を晒すところからはじめたことで、「こいつは本当のことを言っているのではないか?」と相手に思わせ、「なんか他のヤツと違うな……」と煌びやかな経歴を語る周囲の就活生と差別化をしている。実際に僕はちょっと浮いていた。そのうえで演説をすると、なんか知らないが相手の心に響くようなのだ。これがペテンでなくてなんだろうか。ちなみに、僕は大学を留年しており、「大学時代を棒に振った」という演説はリアリティ3割増しだったことだろう。留学ではなく、留年を利用して就活をしてしまった……。

もしかしたら僕はペテン師なのかもしれない。なんとなく、「うまくペテンをかけている人を見破る」ことができる。なんとなく、なんだけどね……。(執筆時間14分1秒)

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