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影響力への招待

先日、仕事関係で二十歳ぐらいの女の子と話す機会があり、「いま欲しいものはどういうもの?」と質問してみると、「影響力が欲しい」というきっぱりとした答えが返ってきた。影響力! なんか壮大だな。富と力と権力が欲しい、みたいな。
 
でもよく聞いてみるとそういうことではなくて、単純にツイッターとか、インスタグラムのフォロワーが欲しい、という意味のようだった。できれば数万単位で欲しいらしい。「そういうのがたくさんあると、何がいいの?」と質問すると、「自分が好きなものがおすすめできるのがいい。好きな漫画とか」とのことだった。なるほど、要するに、自分が関心のあるものが拡散されて、自分に関心のある大勢の人たち(=フォロワー)がそっちのほうを向くと楽しい、ということだろうか。自分が発信したものが人に届く感じがいいのかな。
 
「ちなみに好きな漫画は?」と質問すると、「鬼滅の刃!」とのことだった。それは、別に君が発信しなくてもじゅうぶん人気漫画のような気もするが。鬼滅の刃、面白いよね!

たぶん、「影響力」というのを、スクールカーストのようなものの延長線上で捉えているのかな、と思った。僕自身は全く実感がなかったのだが、学校にはスクールカーストのようなものがあるらしい。要するに、生徒が(無意識に)ランク分けされていて、「影響力のあるグループ」「それに追随するグループ」「ヤンキー」「オタク」みたいな感じに分類される。僕はたぶんどちらかというと「オタク」に属していたような気がする。というか、部活じゃなくてバンドをやってたし、序列とかは関係なく好きな連中とのみつるんでいたので、必然的にそうなったのかも。
 
で、たぶん僕が話したその二十歳の子は、「ツイッターとかインスタグラムのフォロワーが数万単位でいる」と、「影響力のあるグループ」に属することができる、といったイメージを持ったのだろう。つまり、自分が鬼滅の刃を読んでいたら、クラスの他の連中も読み始める、それがイイ! みたいな。そんな感じかな。鬼滅の刃は人気漫画だが、その子の周囲ではあまり読む人がいないのかもしれない。
 
僕は数万とかまではいかないがツイッターのフォロワーが4000人以上いるが、全くその実感はない。みんな適当にフォローしているだけだと思うので、本当にただの数字でしかない。
 
10万、100万とかになれば何かが変わるのかもしれないが、メリットは大してないように思う。人気ユーチューバーのヒカキンは、本当に若者なら誰でも顔を知っているようなカリスマ的な存在だが、尊敬されて崇め奉られているというよりは、街で見かけたら「あ! ヒカキンだ!」などと指差して声をかけられたりするらしい。そんな、ちょっと珍しいポケモンじゃあるまいし。ファンが多いのは嬉しいことかもしれないが、そんな感じで見世物的に顔が割れていくのは、たんに自由が制限されるだけで、メリットはほとんどないように感じる。お金持ちなのは羨ましいことだけどね。
 
本当に影響力を持つ、というのはどういうことだろうか。僕は、もっと本格的に他人の人生に干渉する、ということのような気がする。交友関係をもつ。一緒に何かの事業をはじめる。恋人になる。結婚する。借金の連帯保証人になる(笑)。こんな感じで、「他人の人生に干渉」してはじめて、「影響をもつ」ということのような気がするのだ。

巷にいうインフルエンサーなんて、別にたいした影響力はない。せいぜい、メディアのひとつとして認識されているぐらいだ。「あの人がおすすめするものを、ちょっと暇だからやってみようかな」程度のもの。もちろん、商売上の理由であれば、それでも十分といえば十分なのだけれど、影響力というのは、「認知」程度のレベルにとどまる。
 
ちょっと話は逸れるけれど、友人から、「交通整理のバイト」は意外と楽しい、という話を聞いたことがある。なんでも、あれはどんな高級車であっても自分の言うことを聞くので快感なのだと。考えてみれば、あれも「影響力」の一種だよな。自分の指示にしたがって、見ず知らずの人をコントロールしているわけだから、まぎれもなく、絶大な影響力だろう。
 
影響力、欲しいですか? 欲しいならば、どういう影響力が欲しいですか?(執筆時間16分42秒)

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