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興味のないことをやる、ということについて

あまり抱負みたいなことは言わないし、言ってもどうせすぐに忘れるのでたいして意味もないと思っているのだけれど、あえて言うとするならば、2020年はもっと自分の興味のないこともやってみたいな、と思っている。具体的には、東京にたくさんある博物館のうち、全然興味のない博物館に、できるだけたくさん行ってみたい、というようなことを考えている。
 
僕は、自分の興味のないことに興味がある。矛盾しているかもしれないけれど、わりとハッキリと人生哲学として、以前から持っている。今の自分には興味のないことでも、チャンスがあればチャレンジしてみよう、というのが基本的なスタンスだ。
 
人間が「興味のあること」なんて、かなり限定的だ、というのが僕の基本的な考え方だ。自分が興味のあることというのは、単純に、それまでの経験を踏まえて、「今後の人生に有効だ」と感じたり、あるいは単純に楽しい、気持ちいい、などの快楽を伴うものにすぎない、と思っている。それに、自分が関心があり、やってみたい、と思うことというのは、放っておいてもやりはじめるものなので、あまり意識して「これをやろう」などと意気込む必要はない、と思っている。

だが、自分が「興味ない」と感じるものには、じつはすごいポテンシャルがある。まず第一に、興味がないわけだから、自発的に行動に出ることは考えられない。だから、意識的に、「それをやろう」と自分を仕向ける必要がある。やってみると実は面白かったりすることもあるし、予想通り全然つまらなかったとしても、もはや「興味がない」という次元からは少し前進している。実際にそれを経験したわけだから、それでもなお興味がないということは、興味がないというよりは、「嫌い」であることがほぼ確定している。実際にやっているので、嫌いである理由も、ロジックとして自分のなかに構築されているだろう。
 
つまり、やってもないのに「興味がない」というのは、「よく知らないが、いまの自分には役に立たない」という「決めつけ」にすぎない、と思うのだ。
 
博物館というのは、旅行に行けば旅行先でよく行ったりするのだが、普通の週末で、一人ではなかなか行かない。ましてや、全く興味のない博物館に、貴重な休日を費やしていく変わった人はそうそういないだろう。しかし、行ってみれば、自分の知らない世界に出会うことができるし、そのなかには関心を引くものもあるかもしれない。全くの空振りでも、自分の中に記憶として持っておけば、何年か経った後に、自分の思考として昇華できるようなタイミングがくるかもしれない。記憶というのは、どこでどう接続するかわからないので、自分の中に「コマ」はなるべく持っておいたほうがいいのだ。
 
調べてみると、都内にはいろんな博物館があるな、と思った。僕は東京に住んで3年になるが、そのうちのほとんどに行ったことがない。「関心のない」ところを選ぶためには、できるだけランダムに選びたいので、ランダム関数とかを使って、無作為に選ぼうかなと考えている。自分では思いもよらないようなところに行けるのでは、といまから興味津々だ。

みなさんは、2020年はどのような抱負を持っていますか? どのような行動に出たいですか? いまのタイミングはそれを考えるのに最適だと思うので、無駄だと思っても、何か考えておけば、これまでとは違った一年になるかもしれません。

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