「完璧主義をやめたい人々」に告ぐ
完璧主義者という概念がある。すべてを完璧にしないと気が済まない人々のことだ。素晴らしい。しかし昨今、「物事はほどほどに」「8割の完成度のものを素早く作るのがデキる人」というアナウンスが主流になったせいで、「完璧主義者」の存在意義が揺らいでいる。そこでよく耳にするのが、「わたし完璧主義なんで、完璧主義を直したいと思ってるんですよぉ~~~」という発言だ。わりとつい最近でも、私生活で耳にした。
でも安心して欲しい。自分のことを「完璧主義」という人は、だいたいの割合で完璧主義者ではない。というか、僕の観測範囲では誰ひとりいない。どうみても完璧とは程遠いのだが、本人は完璧主義者だと自認しているらしい。このギャップはどこからくるのだろうか?
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テストの答案のように、「正しい」「間違い」が明確なものは問題ない。回答すれば正解か不正解かが明確だから、完璧主義者とはすなわち満点をとる人、ということになる。満点がとれなければ完璧主義者とは呼べない。問題は、正解がはっきりしていないもの、すなわち、デザインとか、創作物とか、そういったものがあげられる。
小説を書いたり、漫画を書いたり、曲を作ったり。あるいは、仕事では、パワーポイントの資料を作ったり。こういったものは正解がないので、いくらでも作り込める。で、ポンポン新しいものを作る人に対して、なかなか作ったものを発表しない人がいるのだが、後者は「自分が完璧主義者だから」ということを言い訳にする。自分が納得するものができるまでは発表しないのだ、と。
自分で楽しむための創作物ならそれでもいいかもしれない。仕事の資料となると、ちょっと事情は違う。たいていの場合、明確に期限が定められているから、それに合わせて作らなければならない。
僕は社長から依頼されて資料をつくることが多い。頻度としては週に一回ぐらいある。そのときに、提出期限までを逆算して作業にかかるのだが、目安として「3回ダメ出しを食らう」ことを想定して資料をつくる。つまり、3回修正が入ることを見込んだスケジュールを組んで、作業をするのである。
もっとも効率のいいやり方はこうだ。まず、資料の作成を依頼される。そうしたら、その日のうちに、いったんすべて作ってしまう。ここはスピード重視で、とにかくさっさと作る。で、一晩置いて、翌日、気になったところを直す。そして、そのまま提出。一発で通ることはないので、修正依頼がくる。そして修正して提出。ダメ出し。修正、提出。完了。だいたいこの流れなので、提出期限が一週間後の場合、初日でいったん形にしておかないと間に合わない計算になる。
なぜ一発で通ることを想定しないのか、というと、人間の面白い特性が浮かび上がってくる。すなわち、人間は、「成果物に対してのダメ出し」が得意なのである。人類は根っからの批評家、生まれついての5ちゃんねらーである。自分から良いものを作ることのできない人間でも、ダメ出し、批判、批評は大得意。これが人間の特性なのだ。
たとえば、世の中にはダメな映画で溢れている。気心の知れた友人と映画館に行ったなら、高確率で帰り道には大激論が交わされることだろう。「なんであの脚本でOK出したのか」「とりあえず映像を豪華にすればいいと思ってる」「CGの質感、雑すぎ」「さすがにあのヒロインの棒演技はないわ~」等々。でも考えてみて欲しいのだが、映画の専門家、すなわちプロが寄ってたかって作った商業映画が、なぜ素人目にみても「ダメだ」とわかるものに仕上がってしまうのだろうか?
それは、やっぱり人間はダメ出しが得意で、批判が好きだから、に尽きる。しかも、それは「完成品」として作り上げられたものであればあるほど、批判しやすくなる。映画をボロクソに言っている人に、じゃあお前が映画をつくってみろ、というと、ほぼ確実にできない。これは映画に限らず、小説とか音楽にしてもそうだ。
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僕があらためて主張したいのは、これは人間の基本的な特性なので、利用しない手はない、ということだ。「完璧主義者」は、まず「自分の完璧さ」を優先する傾向にある。しかし、他人の成果物を批判するのが得意、というのが人間の特性なのだから、とりあえずボロクソに言ってもらうことを前提に、他人に見せたほうが早い。というか、圧倒的に効率的だ。幸い、批評家はそこらじゅうにいるので、批評家不足で困ることはない。
ひとりよがりな完璧主義ははやく脱却したほうがいい。しかし、他人の意見を取り入れて、完璧に近い状態に持っていくことは、それ以上に重要である。(執筆時間18分20秒)
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