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手は汚れているか?

カルロスゴーンが大変なことになっている。日産の金融商品取引法違反の容疑で逮捕されてから保釈金を払って出てきたものの、国外へ出ることを禁止されながら、楽器ケースに入ってレバノンへ密出国……。でも、最近はレバノンも大変なことになっていて、普通に暴動とか起きてるらしいし。なんかものすごい人生だな。ここまでくるとギャグだけど、本人は必死。
 
カルロスゴーンに対する評価はめまぐるしく変わる。日産にきたばかりの頃に打ち出した「日産リバイバルプラン」で、「これができなければ役員を辞めて釣りにでもいきます」と言って、「コミットメント」という言葉を使った。この単語はなんか日本人のマインドに響いたらしく、以来「コミットメント」という言葉がちょっと流行った。うちの会社でも使ってたし。
 
「コストカッター」として関連会社からは忌み嫌われつつも、見事に日産を復活させたので、カルロスゴーンをメディアは賞賛した。僕も、ゴーンの書いた本を2、3冊読んだことがある。まあエリート畑を歩んできた人ではあるけれど、経営者としては一流なのかな、と思った。数年前から、「この高額なCEOの報酬は妥当なのか」みたいなことは言われてたけど。

ゴーンのやったことは、真偽のほどはよくわからないけれど、まあよくないことだったんだろう。でも、個人的にいい加減というか、適当だなあと思うのは、マスコミの扱い方かな、と思う。調子のいい時には賞賛し、不祥事をやらかすと一斉に叩く。まあそれが「大衆の求めていること」であり、間違っているとは言わないけれど、たとえば個人がそういった手のひら返しの都合のいい発言をしていたら、「なんだこの人は?」とならないだろうか。メディアだからいいとか、そういう問題ではないような気がする。
 
今回の件を見ていても思うのだけれど、成功者も犯罪者も、本質的には同じというか、紙一重なんだと思う。事業をすれば、必ず手は汚れる。敵を斬れば、返り血で真っ赤に染まる。僕はそこまで大それたことしていないのでそんなに手は汚れていない(と思う)が、それでも何かをすれば、無傷ではいられないと思う。孫正義とか、柳井さんとかを見ても、やっぱり聖人というよりは戦士の顔つきだと思う。なにかの拍子に、じつはとんでもない犯罪をやらかしていたことが露見したとしても、別に驚きはしない。
 
逆に、高貴な人間、高潔な人間というのは手が汚れていない人たちのことだ。たとえば、これまで一度も仕事をしたことのない人間の手は綺麗だろう。ニートの手はものすごく綺麗(笑)。
 
高潔さという点でいうと、天皇陛下がその役割を担っていると思う。天皇陛下が直接、政治や経済、司法に介入することはない。基本的には「象徴」としての存在のままで、手を汚さず、綺麗なままで、象徴として存在することが望まれている。太平洋戦争が集結するときに、ポツダム宣言を飲むか飲まないかで、昭和天皇が「聖断」を下したけれど、ああいうのは例外中の例外なのだろう。
 
ゴーンのやったことというのは、日産の社員からしたらたまったものではないだろうけど、そもそも日産の会社がゴーンの横暴を許したという点で、脇が甘かったのではないの? という気がする。少なくとも、日本経済にどういう影響を与えた、とかいうレベルではないような。

社内の統治という意味で「コーポレートガバナンス」という言葉があって、曖昧な言葉だからどういうことなのかなとずっと思っていたのだけれど、まさにこういうのがコーポレートガバナンス欠如の好例なんじゃないですか。まあ、外部の人間が好き放題に言ってるだけですけど……。
 
ビジネスをすれば無傷ではいられない。僕は、ビルゲイツがマイクロソフトを引退して、慈善団体をやっているのは、あれはたぶん贖罪の意味も含んでいると思っているので。(執筆時間15分52秒)

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