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短編小説 『黎明』 #06

1話

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結局、配送時間は普段の十五分遅れになった。やっとここまで巻き返したのに、また遅れてしまった。だがトラックのスピードは管理されていて、法定速度を超えて走ることはできない。

僕はアクセルを調節して、ちょうど時速六〇キロを少し下回るスピードにベタ付けしていた。
 
女は助手席に座って、ぼーっと前を眺めている。目的は全くわからないが、要求はシンプルだった。助手席に乗せてほしい、ただそれだけだ。

もちろん社外の人間をトラックに同乗させるのは規定違反で、見つかったらタダじゃすまないだろう。
 
ただ、女の指摘通り、トラックのキーを腰につけて納品するのもまたルールであり、それを守らず、トラックを盗まれかけた、というのが明るみに出れば、それもそれでタダではすまない。

女には失うものがないのか、それともただのハッタリなのか、警察を呼んでもいいという。当然ダメージが大きいのは確実に女のはずだが、こちらも無傷でいられないのは確かだった。
 
無職? 年齢はわからないが、まだ二十代のようにも見えるし、三十代のようにも見える。
 
いわゆる「無敵の人」というやつだろうか、と思った。要は、何も失うものがない人は、犯罪などを犯すリスクが少なく、ためらいがない、というわけだ。

ストレスを抱えている主婦は、ストレス解消のためにコンビニなどで少額の万引きを繰り返す人がいる、と聞いたことがある。

少額の万引きどころか、これは立派な犯罪なわけだが、案外そういう感じなのではないか、と思った。
 
はじめてトラックに乗った人間が運転なんてできるわけがないと思ったが、考えてみれば自分だってマニュアルの免許を持っていたわけだから、一応、練習したら乗ることができた。細部は違うが基本的には同じだ。
 
動かすことはできても、カーブでうまくギアチェンジができずに、エンストしたのだろう。その状態で止まっているところを自分が発見したというわけだ。

しかし、トラックは乗用車と違い、車体が長いので、当然内輪差も大きい。脇を擦ったあとはなかったので、それは不幸中の幸いだったのだろうか。



とりあえず成り行きで隣に乗せることになったわけだが、車内の様子はドライブレコーダーで撮影されている。なので、この録画映像を見られたら一発でアウトだ。だが、ドライブレコーダーは常時録画はしているものの、事故などのイレギュラーな事態がなければ見返すことはない。
 
なので、今日は絶対に軽微なトラブルも起こせないな、と思った。また、もちろん会社の同僚のトラックにも見つかるわけにはいかないが、エリアが完全に分かれているので、配送中に見られる心配はない。

「思ったより静かだね。配送中って、音楽とかラジオとか聞いてるもんだと思った」
 
女は足を組んで座り、そう呟く。こちらはこんなにリスクを背負っているのに、まるでドライブを楽しんでいるかのような口ぶりだ。僕はなんて答えたらいいのかわからず、黙って運転に専念する。
 
道は田んぼの畦道のようなところに差し掛かり、次の店舗まではまだだいぶ間が空いている。女は勝手にラジオのボリュームやチューナーをいじりはじめた。

勝手に触らないで、と注意しようとすると、「なんだ、何もやってないんだ、この時間」と言った。確かに、スピーカーからはなんの放送も流れておらず、ザーッというノイズが聞こえるばかりだった。



危機的な状況にあるはずなのだが、驚くべきことに、今度は猛烈な睡魔が襲ってきた。女が思ったよりも無害そうなので安心したのかもしれない。
 
出勤時に、田中さんに睡眠時間は七時間だと告げたが、実はあれは嘘だった。ベッドに入っていた時間は五時間ぐらいだが、実際の睡眠時間はそれよりもはるかに短かっただろう。

普段でもこの時間帯は魔の時間帯で、眠気が襲ってくることが多い。ラジオがかかっていない時間というのもあるし、エリア間の移動で、単調な状況がずっと続くからだ。おまけに道路は田舎道で、信号も少ない。

「ねえ、眠いの?」

女が聞いた。ハンドルがふらついているからかもしれない。その言葉で、少しだけ意識が覚醒した。逆にいうと、意識が飛びかけていたのかもしれない。

「眠いですよ」

「毎日配送してるんでしょ? それでも眠いの?」

「毎日やってても慣れません。人間は夜中には寝るようにできてるのかもしれませんね」

何を僕は普通に会話しているのだろう。相手の素性は一切わからないし、何を考えているのかも全く不明だというのに。


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