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短編小説 『黎明』 #08

1話

前話

「ここに同乗してるだけでもう迷惑なんですよ」

「騒ぎを大きくしてもいいの?」

「ああ、はい、もういいですよ。警察でもなんでも呼んでください。確かにカギをつけてなかったのは自分に落ち度があるし、それで会社から処罰されるんならそれでもいいです。どっちにしても、こうやって知らない人を同乗させてるほうがヤバいんで」

「そっか」

予想に反して、女はなんの抵抗も見せなかった。てっきり、なんらかの反論があるものとばかり思っていたので、少し拍子抜けした。

あらためて、何者なのだろう、と考えた。駅前のコンビニに納品しているところでトラックを盗まれたのだから、もともとあの近くにいたと考えるのが自然だ。だが、午前三時にまともな人間があんなところにいるわけがない。当然電車も動いていない。

コンビニの上階がマンションになっているので、そこの住人なのだろうか。いずれにしても、午前三時に人が外に出てくるところを見たことはないのだが。しかし、上下ジャージであることを考えると、それこそ近所を散歩するような格好ではある。

運転しながら、ちらりと隣に目をやる。袖のところぴったりまでジャージの袖を伸ばしている。これだけ暑いのに。もしかして、DVか何かなんじゃないかと思い始めて、そう考えると妙に合点がいった。
 
こんな時間に外にいたのも、もしかしたら家の中に入れてもらえないからなのかもしれない。もしそうだとしたら、タクシーに乗せてもそもそも意味がない。お金がない、というのは本当なのかもしれないが。



「名前、なんて言うんですか」

「名前?」

「名前ぐらいあるでしょ、ないんですか」

「どうして?」

「どうしてって……。素性が全くわからないんだから、名前ぐらい教えてくださいよ」

「本当のことを言うとは限らないよ」

「本当の名前じゃなくてもいいですよ」

女はフロントガラス越しに星空を眺めている。そして、スピカ、と言った。

「スピカ?」

「そう、スピカ」

「どういう字? 外国人?」

「漢字じゃないの、カタカナなの」

当たり前だが、もちろん本名じゃないだろう。だが、どういう形であれ、名前があると便利だ。

そんなことを考えているうちに、次の店舗に着いた。相変わらず全く車の停まっていない駐車場に、適当に横付けをする。

「じゃあ、ここで降りてくださいよ」

スピカは黙ってトラックを降りる。どうするつもりだろうか、と思った。だがそんなことをゆっくり考える余裕はなく、トラックのシャッターを開け、番重を取り出す。納品のときにふと目をやると、トラックの脇にはもう彼女はいなかった。

もう、どこかに行ってしまったのか?



番重を抱え、納品する。店着証明を受けようとしたとき、レジ横にスピカが立っているのが見えた。店員は先に客の会計をすませるよう目配せする。レジに客がいる場合は客のほうを優先するルールになっている。

「この焼き鳥、全部ください」とホットケースを指しながら、スピカが言った。

「ぜ、全部ですか?」店員が驚く。僕も驚いた。いまは時間としては営業時間外に等しいので、当然それほど数多くあるわけではないが、それでも十本以上はあるだろう。
 
何を考えているのだろうか、と思ったが、スピカは財布を持っていない、ということも同時に思い出した。つまり、これを自分が出せということだろうか?
 
店員はせっせと一つ一つ紙袋に詰めていく。結局、焼き鳥は十二本あり、店員は金額を告げた。

そこで、スピカはポケットからスマホを出すと、スマホで支払いをした。
 
何も驚くことではないのだろうけれど、確かに財布を持っていないからといって、支払い能力がないことを意味しないのだ、という当たり前のことに気がついた。店員はレジ袋に入れてそれをスピカに手渡す。スピカは一瞬こちらを見た。かすかに微笑んでいるのがわかった。

「ほら、早く行くよ」

スピカは僕に店着証明を促すと、さっさと外に出た。


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