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みんな

みんなと同じを卒業したいと思いました。
学生時代はみんなと一緒がいいと思い、
普通が好きで、一般的が好きで、
たくさんの人たちと同じ意見、
同じ環境、同じ進路、
同じファッション、同じ気持ちで、
みんなと一緒だと安心する子でした。
たぶん、みんなと違う意見だと、
嫌われてしまうかもしれない、
仲良くなれない、楽しくなれない、
しあわせになれないと、
どこかで思っていたようでした。
だから、社会人になっても、
自分がない、何も言えない、
悲しいことがあっても、
ぐっと我慢の毎日でした。
当時はそれがあたりまえで、
そのような方法しか、
給料がもらえないと思っていました。
けれど、このような、
みんなと同じから卒業したいと思いました。
僕はいわゆる、しあわせにはなれません。
ひとりで生きていく覚悟を決めました。
でも、ひとりだと淋しいんじゃないかと、
思うかもしれませんが、
僕が生きるにはひとりが生きやすいのです。
同じひとりの境遇なら、
誰でも好きになるんじゃないかという人も、
いるかもしれませんが、
僕は相手の内面をよく見る人なので、
そのようなことはありません。
みんなが大切に見る、肩書きって、
そんなに大事かなと思います。
みんなが知っている会社から認められたとか、
みんながよく聞く、
地位や名誉を持っているとか、
このようなものを聞いて期待して、
いざ、その人のもとへ行ってみると、
結局イメージと違ったと愚痴を吐き捨て、
いらいらして帰っていくような気がします。
みんなから認められたものを持っている!と、
みんなに叫んでも、
それはお店ならお客さんを来てもらうことの、
きっかけに過ぎないと思います。
商売だから、ある程度、
なんらかの、
決まりきったものを持っていたほうが、
お客さんは来てくれると思いますが、
なんだろう、
それだけじゃないような気がします。
みんなから認められたものを持っている人に、
会いに行くと、
その商品とか人柄とか環境ということよりも、
この人は認められたんだ!という、
催眠術にでもかかってしまったような、
不思議な安心感を、
持ってしまうような気がします。
ご飯を食べて行くには、
ある程度社会のルールと、
お金の回る仕組みを学んだほうが、
給料が入ってきますが、
過度にこのように認められたんだ!という、
不思議な安心感を持ってしまうと、
僕には生きにくい。
人の数だけ思いがあっていいと思うし、
人の数だけ意見があっていいと思うし、
人の数だけ教室や職場や家庭や環境があって、
いいと思います。
みんなと違っても、
自分が好きな本を読んでいいと思うし、
自分が好きな洋服を着ていいと思うし、
自分が好きな環境にいていいと思うし、
自分が好きな食べものを食べていいと思うし、
自分が好きな生き方をしていいと思います。
それは、僕が、
なんか周りとは違う声だし、
しゃべり方がゆっくりだし、
素直とかまっすぐとかやさしいとか、
このような人は、少ないので、
いわゆる、マイノリティで、
いわゆる、
しあわせにはならないんだと思いました。
いらいらしたり噂話をしたりいじめたり、
このような人が一般的で、
このような人が普通で、
いわゆる、みんな、なのだと思いました。
僕はみんなにはなりたくはない。
ある程度社会のルールを知り、
お金の回る仕組みを学んだので、
これからも僕は、
ひとりで生きていこうと思います。
なんか淋しい終わり方になりましたが、
僕は元気です。
ひとりですが毎日が楽しいし、
やりたいことや、
やらなきゃいけないことが、
たくさんあるので充実しています。
生き方っていろいろあると思います。
例えみんなと違う生き方だったとしても、
自分が生きやすい、呼吸がしやすい、
そんな環境で生きられるのなら、
こんなにしあわせなことはないんじゃないかと、
思いました。

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