ヨルシカが好きだ

突然ですが、私はヨルシカの曲に対して並々ならぬ想いを抱いています。なので今日はその話をしたい。

ヨルシカといえば、まあ、まず作詞作曲を担当しているナブナさんについて話したいんですけど。
私は小学校2年生頃にボカロに出会い、その後カゲロウプロジェクトのおかげでどっぷりとオタクに染まるという、同年代のオタクのモデルケースみたいな人生を送ってきました。だから今でもボカロ大好きで聴いてるんですけどね。

さて、今でこそ「ヨルシカが好きだ!!」なんて言っている私ですが、実は知ってからハマるまでに結構間が空いてるんです。もちろんヨルシカにハマる前からナブナさんのことは知っていましたし、いやめちゃくちゃ有名だったからそりゃ知ってるに決まってるだろみたいな感じでもあるんですが、正直あんまりピンときてなかったんですよ。ボカロ時代は。
まあ、ね。あのー、うん。まあ過去の私が言うには「ボカロでやる意味がない」だそうです。
うん。まあそうね。そう思ってたのよ。今でもちょっとは思ってるけども。だからといってボカロ作ってた人がself cover出してそっちの方が再生回数多かったりするのめっちゃ嫌なんだよな…。うっエゴイズム…。まあこの話は長くなるので流すんですけど。やっぱり感情とか迫力ってのは人間が歌った方が出るからね。ナブナさんは比較的感情的というか叙情的な曲を書くから。いやボカロはそこで争ってねえからとも思いますが。全然言葉が整理されてなくて笑っちゃうな。これぞ殴り書きってか。ッカァ〜!

はい。で、なんでハマったのかって話なんです。
あの、その時夏だったんですよ。めちゃくちゃ暑くて、でも外出しなくちゃいけなくて。バス停でフラフラしながらバスを待ってたんです。そん時になんの気無しに初期のヨルシカ(多分YouTubeにあったような基本的な曲)を聴いてたんですけど、いやなんかこれめっちゃ合うなと思って。ね。なんか文章にするとすっげえ馬鹿みたいだな。でもめちゃくちゃ夏で。
ナブナさん多分夏大好きだと思うんですけど、あの人の夏の解像度高すぎない?ってくらい夏なんですよ。なんだろう。一般的な夏じゃなくて、全部の夏があるんですよ。
秋とかでも、ふと夏を感じることってあるじゃないですか。空気の存在感が大きいあの感じを急に思い出す、みたいな。そういうのなんですよ。多分最初にそこに魅了されてしまったんだと思います。

馴れ初めはこんな感じですね。
で、で!一番話したいのはそこじゃなくて。やっぱヨルシカってさ、

重たぁ〜いのよ。

ただ君に晴れとかだけしか聴いたことない人からしたら、まあよくある中毒性のある曲でしかないのかもしれないけど。アルバム聴いたら絶対分かると思う。
一つめのエルマとエイミーでも、二つめの盗作でも、通して描かれてるのはただひたすらに愛なんですよ。愛というより、信仰といった方が近いか?

世に蔓延る一般的な曲と一番違うのってそこだと思ってて。やっぱ聴いてて気持ちいいのって感情移入できる曲じゃないですか。だからLINEとかの具体的なワードを出して、より生々しい歌詞を目指しているようなのを感じるんですけど(これはめちゃくちゃめちゃくちゃ主観です)ヨルシカは生々しさとは無縁っていうか。
あ〜もちろん美しいものだけじゃないんですよ?盗作とかはバリバリ負の側面が出てますし。いやそれにしたって美しいな。言ってること不安定すぎる。ヒイ〜

圧倒的な愛って美しいじゃないですか。
なかなか存在しないし。まあだからこそなんだろうけど。
そういう生々しさとはかけ離れた圧倒的な相手への想い。羨望。俗に言う“恋愛”みたいなものに当て嵌められないような(これは恋愛に失礼かもしれない)ただひたすらのクソデカ感情。
こういうのを描くのがヨルシカだと思います。
だからなんだろう、ある種それってファンタジーなんですよね。神聖というか。そしてそれを作り得てる要因はストーリー上の「死」とか「別れ」なんですよ。
私の死への考えはまた別の機会にお話ししたいんですが、ヨルシカの場合はそこでの神格化みたいなものを強く感じます。

いやぁ〜
重ぇ〜

だから私はある種、ヨルシカを聖歌みたいに認識しているところがあります。この感覚で言うと、他のアーティストだと米津玄師さんあたりに似たようなものを感じますね。

「祈り」っていう言葉が自分の中でしっくりくるな。うん。そんな感じです。

サイコーサイコーサイコー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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