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連作の雨 : 2024

やはりちょくちょく更新します。

どんな言葉が本心にもっとも近いかなんてのは、誰にだって分かりやしない。言いたくもないことなら言わなければいい。それでももし記しておきたいなら、肉体を捨てるよりは見栄を捨てたほうがわたしは好きだけど。 最近腹筋をしていない。自戒を込めて。
きれいで文化的な生活ではなくても、生活には違いない。洗濯物を溜めていたって、歳を取ったって、細胞はまた置き換わる。それでも時折、前世の海と怠惰な詩の記憶が浮き上がってくるのを止められない。 ハロー深海魚、元気かい?ぼくは寂しいよ。
匂いの記憶というものは、触れてしまえば何度だって鮮明な色を取り戻す。一緒に訪れた場所、買い忘れたもの。なにを見ても、きっとなにかを思い出す。その眩しさに、適切な距離を取れないまま。
一文字違えば意味も変わる。同じ子音でも、母音が変われば何もかも変わる。楽しいね。そうやって意味のない遊びに意味を見出した挙句、こんな電子の海にその亡骸を放り投げてしまう。 いいだろ別に。遊びつくしたって。
例えば自分の人生の絵描き唄があるとして。きっととてつもなく歪で、半分諦めていて、どうしようもなくて……それでも意外とおいしくて、こうやってごみ箱にごみを投げ捨てるような人生をやめられない。 まあ、そんなもんだよ。気を張らずに。蝶の軌道で描いてごらんよ。
愛の詩は数多くあるけれど、そのすべてを知っているにんげんはいない。そして同じように、すべての愛を数え切れるにんげんも。そもそもその眩しさは数えられるものなのかどうかも知らないけれど。 外はまだあかるい。部屋はやや広い。
煉獄は、天国へ行くために罪を浄化する場所。なのだそうだ。この部屋はおおよそ煉獄に似ていて、すこしばかり色褪せている。それでも空はさまざまな表情を見せるし、ときどき眩しい。
同じ言語を口にするたび、ことば選びがきみに似ていることを自覚させられる。悔しいけれどお互いにとって、おそらく海はそういう存在であった。 しかし、知らない星。もしくは星座なら、きみはその名前を呼ぶことができない。気づくこともない。 それでいいとも思う。さようなら。
きれいなものに、まっすぐきれいだと言えるひとは少ない。理屈がなければ安寧を得られないきみも、わたしも、同じようにことばを生み出しては捨ててしまうほかなく。花の類語のように生きている。 多分わたしたちが居ようと居まいと、きれいなものはきれいだよ。分からないけどさ。
忘れたくても忘れられない。かつてわたしたちが、誰も知らない花束だったこと。そうやって日々を過ごして、もう二度と咲くことのない花のこと。もしきみが、昨日とはちがう花へきれいだと云ったりしても。
ことばは刃物だ、なんて使い古された話をいつまでも繰り返している。なにを言っても、受け取る気がなければ届くこともないのにね。 読む気がないなら見なくていいよ。もういいからさ。
もう幼いころの記憶なんてものはほとんど残っていないが、周りの大人からするとその限りではない。多少のもやが掛かってはいるものの。 そうしてきみも大人になって、すこしずつあいまいな記憶が増えていくと思うけれど。忘れないでね。
またひとつ失ってしまえば、それ以外の生き方を知らない自分の虚しさばかりに目が行ってしまう。そうして失って、最後にはなにが残されるのだろうか。
掴めないものばかり見えてしまって、いささか息苦しい。そうして溺れてしまわないように、手を伸ばす。どんなことばも、救いになるとは思ってないけどさ。
声高に元気よく歌って、いずれ卒業する日が来る。そのとき、教わった歌のどれほどを覚えているのでしょうね。 きみと付き合って学んだこともいっぱいあったよ、なんて言われてもさ。わたしはきみの教科書になるつもり、ないからね。
きみの救いはわたしの救いになるとは限らない。分かっていながらアイコスにむせ返り、そしてそれきりの匂いだった。 さて。別れるには出会わなければならないが、出会うのに別れは必ずしも要らない。 おそらくこの人生のなかで別れより出会いのほうが多いのは、救いなのだろうか。

ありがとうございました。
連作の雨:2023と2022もよろしくお願いします。

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