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10人10色のカラーリスト

色を仕事にする「カラーリスト」の物語です。
それぞれのキャラクターが、今、自分が持っているものに集中し、苦難を乗り越えていく、10人10色のストーリーです。

ピンク

桃木さんの物語


一階が酒屋、二階が住居という、商売を行う家で育つ。
裕福でも、余裕が無いわけでもない、普通の生活レベル。

近くに大学があり、コンビニのようにお菓子やお弁当も販売していて、学生メインのお店。駄菓子屋のような雰囲気。
小学校低学年の頃から店番していて、よく本を読んでいた。

常連の大学生に遊んでもらったり、マンガや雑誌をもらったり。宿題の音読を聞いてもらったりして、より本が好きになる。

専門学校を卒業して、事務員をしていたときにカラーに出会う。
暇だったからなんとなく始めて、どっぷり浸かる。

お店で、大学生向けにカラー診断イベントなどもしてみるも、どうしても人と話すのが苦手で、どもってしまう。

吃音も少しあって、接客は向いていないと、見切りをつける。

でも、色の仕事をしたい。

書店を回って棚を分析したり、カラーリストのブログを見て、受けが良いのは配色だと感じ、そこに狙いをつける。
そこから毎日ブログとSNSで配色の発信をする。
MAX収入は、アフィリエイトで月1500円。

それでも飽きずに2年続けると、徐々にPVも増えてきて

「書籍にしませんか?」

というオファーが届く。

そのときは、自己出版ビジネスだと知らず、舞い上がって話に乗ってしまう。「会社名+評判」で調べ、悪い口コミが多く気になったけど、売れて有名になることを夢見て興奮し、やってしまう。
半年かけて苦労して作り、初回1500部で、払ったお金は300万円。貯金では足りず、親から借金。

現実はいわずもがな。

出版社での保管期限が切れ、1450部の山のようなダンボールが、着払いで送りつけられてくる絶望。
自室はダンボールで圧迫されて、寝る場所もギリギリ。

親から

「だから言ったのに」

と、よくある挑戦しない人の、セフティゾーンから見下したような、安堵に似た冷笑を受けて、関係が悪くなる。

「これで懲りたでしょう?夢見るのはもう終わりだよ」

と言いたいのはわかっているけど。

がんばって、がんばって、借金と自分はいらない本の山。

でも、色は好きなんだよな・・・


私は本が好き。

書くことが好き。

だから発信は、毎日楽しく続けられる。

苦痛なんてない。

だから私は、今日も書く。

お金になるとかならないとか、どうでもいい。

将来どうなるかも考えない。

こんなにわくわくする色の組み合わせが、世界に溢れている限り。

と、前向きに進んでいるとフォロワーが増えて、自分で立ち上げたBASEのショップから直接本を買ってくれる人が増え、口コミがたまり、ダンボールの山が徐々に減って、今度は自費出版ではないオファーが届く


赤井さんの物語


大学卒業後、就職先でカラーに出会い、大手スクールのカラーコーディネーター講座で学ぶ。
色は楽しくて、「これでフリーランスとして活動できたらいいな」と思うも、大手スクールのカリキュラムでは納得できず、有名な個人サロンでも学び直す。

その両方で、偶然同期になった、同い年の人と友人になる。

意気投合し、養成講座終了後に共同主催でサロンをオープンすることに。

個人向けと法人向け、どちらも順調に伸びて行く。

そんな中、友人の動きに気になることが。

こっそり個人的に契約して、売上を自分の懐に入れていた。1年様子を見るも、どんどんエスカレートして、決別。顧客は奪われる。

友人は顧客に、私の悪い噂を流している。
既存顧客の信用回復は難しそう。
何より、噂撤回ばかりでは前に進めない気がする。
そして、そんな後ろ向きで苦しいことばかりやりたくない。

心労と売上低下(収入減少)、更には家族とケンカ。

ストレスが大きすぎて、前向きになれない。

ひどく落ち込む。体調も悪い。

奨学金。養成講座のローン。子供の習い事費用。

そんな中でも、何があるのか考える。

私には、今まで学んだこの知識がある。

経験もある。

仕事道具もある。

メール営業・飛び込み営業、なんでもやればいい。

もう奪われるものは無い。

と、リスタートする。


黄島さんの物語


物心ついたときから、母親と二人暮らし。
パートを掛け持って、昼夜働いていた母が、駅で気を失って階段から転落。
高校2年から、自宅で介護が始まる。

進学はできず、アパレル店でアルバイト。

そこでパーソナルカラーやカラーコーディネートに興味を持ち、これで稼ぎたいと希望を見つける。

SNSを見れば、イメコンはCAなどの学歴やキャリアのある人が多い。

夫の収入で生活できるなんて夢。

しょっちゅう、SNS用に、服やコスメを買う余裕は無い。プチプラでも。

人脈なんて無いし、友達も少ない。

母の介護で、この場所から離れられない。外泊もできない。

でも、私には、スマホがある。

SNSや、無料で使えるツールが沢山ある。

築50年でボロだけど、一軒屋がある。

隣の部屋に母がいても、自宅サロンはできる。

サービス中にトイレ介助になったっていい。

ボロ家でも、きれい掃除して演出を考えれば、古民家サロンという売りになる。


この手にある、小型高性能コンピューターをタップすれば、いつだって世界と繋がれる。

私には、できることがたくさんある。


橙山さんの物語


恵まれた家庭に生まれる。山手線内側に地下1階、地上3回の建築家と作った家で、何不自由なく育つ。

お茶の水女子大学の授業で色彩学に興味を持ち、在学中にカラーや骨格系の資格を4つ取る。

しかし、学ぶだけでそのまま。

会社員時代に出会った彼と、親の反対を押し切って結婚。

「彼は釣り合わない」という、親の考えに幻滅し、縁を切るように、彼の実家に。

10万人程度の、冬は雪が厳しい地方都市。

隙間風が入る、昭和初期に作られた、地方で良くみる中途半端に古い家。

国道沿いに配置されている、各種全国チェーン店。

ユニクロ・ダイソー・ニトリ・マック・イオン・・・

寂れた駅前と、Uターンの若者たちが小洒落た店舗街を作っている、旧市街開発地域。

引っ越して5年、夫を突然なくす。

ようやく見つけた仕事は、冷凍食品の製造。
上から下まで白衣で隠され、24時間動くコンベアが優先される。
ラインを止めることはできない。トイレに行くにも気を使う。そこに自分はない。自分は機械の一部。

まだ4才の子を、保育所・義母にみてもらい、夜間勤務を頑張っても、手取り14万円。少し豪華な工場弁当が、唯一の楽しみ。

ヘトヘトの状態の休日。気力を絞って行けるのはスーパーくらい。

せめて娘に好きなものを食べさせたい。

その日、スーパーの入口前には、鈴カステラの移動販売車が。

娘が匂いにつられ、食べたいというので、10年ぶりくらいに買う。

一口だべて、涙がこぼれ落ちる。

彼と初めてのデート。隅田川花火大会。縁日で買った鈴カステラを食べさせてくれた、あの夜の花の閃光。

目をつぶれば、今も瞼の裏に残っている。

私には何がある?

カラーの資格はある。

こんな田舎でカラーの仕事?

店舗を構えたって、人なんて来ない。

自宅はとても人を呼べない。

ライフラインのライン工は辞められない。

鈴カステラ・・・そうだ、移動販売だ。

サロンを移動できるうよにすれば、駐車スペースなんてどこにでもあるから、どこでもいつでもサービスができる。

N-BOXを改造?ハイエース?キャンピングカー?
色々調べて、キャンピングトレーラーの存在を知る。
エアコンを付けて、夫の形見の2代目ハリアーで引っ張ろう。

商工会議所の紹介の移動販売コミュニテーで相談すると、多数展開している社長から、今は使っていないトレーラーを月2万円で貸してもらえることに。

「飛び込み営業なんて無理・・・」なんて、言ってられない。

たくさん、たくさん、何度も交渉して、ショッピングモール・地元のお菓子屋・人気のおしゃれパン屋・ケーキ屋などに、出店させてもらえることに。

個人的にも、出張サービスに絞って、SNSを始める。

カラー診断の認知度が高まったのか、結構みんな言葉は知っていて、サービスを受けないまでも寄ってはくれる。出店すると、コラボしたお店の集客が増えるようになり、イベントなどのオファーもポチポチ。

休日のみの稼働でも、月5万円をコンスタントに稼げるようになった。

正直、レンタル代とガソリン代などで、ほとんど残らない。

でも、ライン工で失う気力が、カラーの仕事をすると戻ってくる。自分で作り出せる仕事、私が私で良いという、受け入れらる喜び。

娘と一緒に回るも楽しくて、二人の思い出になっている。

若者も少ない、閉塞感のある田舎だと思い込んで、自分が行動しない言い訳にしていた。

うまくいかず、拒否されて自分が傷つくのが嫌だっただけ。

受け入れられるまで、しつこく続ければいいんだ!

この場所で、今の環境で、私にしかできないサービスがある!

黄緑

若葉さんの物語


片田舎の町で生まれ育つ。
母親がベニマルで買ってくる服は、青系ばかり。
でも、私はクラスの女子が着ているものを着たかった。

小学5年生の時、母親の口紅をこっそり塗って、自覚する。
田舎での生活は、すぐに噂が回る。
ひっそりと、バレないように、自分を消して高校を卒業。

特にやりたいことは無いが、この閉塞感のある場所から出たい。
アパレルのアルバイトが決まって、上京。

休憩も取れないブラックバイトで嫌になって辞めてしまう。
お金が尽きて、アパートを出る。

仕方なく単発の肉体労働で日銭を稼ぎ、ネカフェ泊まり。
疲れが取れず、宿舎付きの労働を選んだら、飯場制度。
一日中働いても、ピンハネされ7500円。
さらにそこから、宿舎代と食事代で3000円、シャワー代、コインロッカー代、謎の保険料など合計6000円引かれると、手元には1500円しか残らない。2日に1回しか仕事もらえず、会社に借金しないといけないという、地獄の貧困ビジネス。逃げようにもトンコ番が見張っている。
なんとか逃げて、クロス屋の大将に拾ってもらう。

給料は低いけど、住み込み食事付きで、ピンハネもされない。
ファッションが好きで、コロナ中に知ったカラー診断に興味を持ち、パーソナルカラーアナリストの資格を取る。

職人界隈でカラー診断をやっている人はおらず、先輩や同じ現場の人に無料で診断すると、珍しがられて、喜んでもらえた。

ある日、現場は住宅展示場に。

休憩時間にカラー診断していると、ハウスメーカーの方が興味津々で寄ってきた。

ハウスメーカーの社員を診断したら、喜んでもらった。

その社員たちの企画で、土日の住宅展示場イベントで、カラー診断をすることに。

このチャンスを活かしたい。

インテリアも学んで、もっとカラーの仕事をしたい。

収入が増えたら、好きな服を買いたい。

もっと、自分を解放して、ファッションと人生を楽しみたい。


緑川さんの物語


中学から陸上競技を始めて、高校卒業後に実業団に入る。
4年目で伸び、マラソンでMGCを目指してトレーニングをしていた。

それは峠走で起きた。

足柄峠頂上付近、猛スピードで下ってきた自転車と激突し、下半身が動かなくなる。

夢が断たれて絶望する。

実業団も辞めて、実家で引きこもってしまう。

外にもあまり出なくなったのを見かねた親が、近所のマルシェに連れて行った。
そこでイベント出店していたカラーサロンで、カラー診断とTCカラーセラピーを受ける。

心が少し軽くなり、ふと前が明るくなる。

一日で資格取得できて、ボトルももらえてお得だから、TCカラーセラピーを受講する。

それがきっかけで、カラーが楽しくなり、カラー診断の養成講座も受ける。

最初のモニターで親友を診断した際、大きなショックを受ける。

幼馴染の親友でさえ「障害者」というフィルターで私を見て、お客様なのに気を使われてしまう。

ただ、足を動かすのが不得意になっただけで、歌がうまく歌えない、逆上がりができない、数学が苦手・・・というのと、大差ないはずなのに。

車椅子というシンボルがバイアスを生んで、対等になれない社会なのか・・・

もちろん、人によるのはわかっている。

でも、前提として貼られる「障害者」というレッテル。

弱者として取り扱われるこの世の中で、「先生業」は無理なのかも・・・

私が本当にやりたいことは何だろう?

やっぱり、走りたい。

そう思って、車椅子マラソンを始め、東京マラソンで招待選手になれるくらいの、日本トップレベルまで駆け上る。

アスリートとしての自信も生まれ、自分の手で稼ぎたいと強く思うようになり、カラーを仕事にしようと決心する。

車椅子でカラーを仕事にしている人は少ない。

差別化や自己PRは十分。

日々、小さな努力を積み重ねることは、マラソンで身につけたので得意だ。

ただ、ドレープの片付けや移動など、一人ではどうしても時間がかかってしまって難しいこともある。

でも、お金を払って雇うのは難しい。

そんなある日、マラソンイベントで知り合ったランナーと・・・


茶谷さんの物語


35年前の読売新聞。
三行広告に、惹きつけられる。

日本初
カラーコンサルタント
第一期生養成講座

すぐに電話すると、3日で100万!?
よくわからない講座で、この金額・・・
でも、直感でこれだと感じ、飛び込んだ。
夫が医者だから、挑戦できた。

日本では全く認知されていない、カラーの仕事。
講座終了後も、当然仕事なんてない。
先生の鞄持ちとして、毎週招集されては、手伝いをする。
もちろん、無給。交通費だけもらう。

それでも、日本に無い仕事をしていることが、誇らしかった。
独立した女性として、自分の腕一つで働けることが嬉しかった。

2年同行していると、お客様から直接声がかかるようになってきた。
こっそりやるわけにはいかないので、先生に聞いたら、OKとのこと。
そこから、無我夢中でこの仕事に没頭した。

認知されていないし、時代が時代だけに、ひどい言葉も受けた。
20年前に縁あって、テレビの仕事をレギュラーで3年させてもらったのが、大きな転機となる。
その後はテレビ効果と継続的な口コミで、仕事に困ることはなかった。

セミナーで1回50万円頂けるようになっていた。
ただ、銀座に構えたオフィスの家賃は月30万円。
稼いでも稼いでも、家賃とスタッフの人件費に消えてしまう。
それでも良かった。

女性が輝ける仕事として「カラー」が世の中に認められるようになっていく過渡期に、自分が先頭の一人として過ごせるという、生きがいがあった。
スタッフやお客様と過ごす時間は、何にも変えられない幸せな時間。

ある日の夕方。
取引先の方とスペインバルに立ち寄り、サングリアを片手にカラー業界の話をする。
還暦を過ぎ、気がついたら、自分が残せること、次世代に渡せることは何か?を考えることが増えていた。

私が必要とされる時間は、少ないかもしれない。

新しい時代の、新しい挑戦者に、私のすべてを伝えたい。

次世代に、バトンを渡したい。


青山さんの物語


親が都内の地主。
慶応幼稚舎からエスカレーターで大学。
アメリカの大学院を卒業し、大手商社に就職。
3年後に海外赴任。
エリートキャリアで交友範囲も広い。

ただ、容姿にコンプレックスを持っていて、女性とお付き合いをしたことがなかった。
会話するのに、いつもどこかで引け目を感じてしまう。

日本転勤後、少し経って海外投資銀行に転職。

南麻布や六本木界隈で遊び回って・・・ということはできず。
コンパに呼ばれても、引き立て役。
早く帰りたくて仕方ないコンパ中、ながら見していたタイムラインで、パーソナルカラーを知る。

男性のカラーリストもいることを知り、イメージコンサルティングとショッピング同行を受ける。
あきらかに、見た目が変わって満足する。この仕事があるということに納得もする。速攻で資格も取る。


それがきっかけで、徐々に内面が変わっていき、29歳で初彼女ができる。

その喜びと二人でいる時の幸せの大きさに、激務の仕事を辞めて独立することにする。

ビジネスの一つは金融。もうひとつはカラーコンサルタント。
どちらも順調で、初年度から手取り2000万円以上になる。

主な売上は金融事業から。やりがいがと生きがいを感じるのはカラー。

ただ、カラーのSNSアカウントへのコメントに、悩まされるようになる。


仕事が広がり、フォロワー数と共に増える、悪意のある攻撃。

「あの顔で、イメコン?」

「まず自分を変えたら?」

アカウントを開くたびに、コメントが無くても、常に心にモヤを生み出す。


もう消せない、イヤな気持ち。イヤな気持ち。イヤな気持ち。

自分を変えてくれたカラーの仕事を続けたい。

でも、もう耐えられない。


心もすさみ、彼女へ強く当たるようになってしまい、別れる。
正確には、連絡が取れなくなってしまった。

探して追う気力も無い。


お金を稼げている金融の仕事は、虚業。

カラーの仕事も、喜ぶ言葉を巧みに選んで、お客様に思い込ませているだけで、何も生み出していないのではないか・・・

考えれば考えるほど、自分が何をしたいのか、何者なのかわからなくなる。

こんな時でも、お腹が空く。

ゲオスミンの匂いで包まれる夜中の街を、フラフラと彷徨っていると、破れた赤暖簾の町中華。
吸い込まれるように店内に入り

「中華なんていつぶりだろう」

と考えている間もないくらい、あっという間に炒飯が出される。


一口食べて、その美味しさに泣けてきた。

何故か涙が止まらない。

誰もいない店内に、中華鍋を叩く、お玉の音が響く。
それが私にはりんの音に聞こえ、何かを変える、始める合図だと感じた。

今は自分の作ったもので、目の前の人を笑顔にしたい。

こうして今私は、料理の道にチャレンジしている。

カラーの知識は奪われない。いつだって再開できる。だから今は、お休み中。

紫乃さんの物語


両親が共働きで忙しく、休日どこかに連れて行ってもらった記憶はほとんどない。
寂しさへの償いか、ねだれば、だいたいなんでも買ってもらえた。
友達が遊びにきて「すごーい」と言われるのが嬉しかったが、満たされるのはほんの一瞬だけだった。

結局私も、親と同じ大手広告代理店に就職する。

大学の同期で飲む時は、誇らしい気分になれる。

そんなステータスの虚栄心より、激務のストレスの方が何倍も大きい。

ストレスを発散するように、少しでも気になったものは、何でも買ってしまった。服・バッグ・化粧品・・・

買う前の、比較検討している時間は楽しい。でも、使う暇はなく、行き場のないモノたちで、部屋が埋まっていく。

百貨店の案件で、パーソナルカラー診断のイベントを行う。自分も診断してもらい、カラーリストと百貨店でショッピング同行を体験する。

「これは良いかも!」と思うも、また使わない物が増えてしまう。

そんな折、

「新しく買わず、今ある自分とものを活かして、豊かに過ごす」

というコンセプトのカラーリストを知り、セッションを受けてみる。

思い切って、大半のものを処分すると、気分が変わった。

少ないと、あるものに集中できる。


仕事では、1件につき、何案も何案も捨て案も作る。

何度も何度も作り直して作った広告は、一瞬で消費されて残らない。賞を取ったとしても、業界人以外知らない。

見た目の良さを求めて、1mm1pt単位で調節するビジュアルで、クライアントの商品が売れたとしても、すぐにまた、同じような新商品を作っては、その広告を作らされる。

広告の仕事は、消費すること、買うものを選ぶために、多くの人の、多くの時間を消費させていて、不幸にしているだけかも。

そう感じていた。

妊娠がわかり、仕事はすぐに辞める。

これを期に、色の勉強をすると、「光の波動」というキーワードに惹かれる。色を仕事にするために、様々な勉強をしていくうちに、量子論に出会う。
人の細胞、すべての原子、宇宙は「場の振動」という理論に考えさせられる。
歌手が14歳であっても尊敬されるのは、自分の体一つで、素敵な音の振動を生み出しているから。
その時の、気持ちに合った歌で涙してしまうのも、納得。

好きな人と一緒にいると心地よいのも、波長が合っているから。


そもそも、一人ひとり見えている世界は違う。

目の細胞が違っていて、脳も、素粒子の振動も違うのだから、当たり前のことなのに

「みんな私と同じはず」

という思い込みが苦痛を生み出していた。

「なんで似合わないメイクしているのかな?」

「なんであんなファッション!?」

「なんでわかってくれないのかな・・・」

自分の考えが正しい。その考えを守りたい!

と、誰かに押し付けようとするから、悩みが生まれていたのかも。


人の目に見えないことが、大半のこの世界。

勉強すると、カラーの業界は、色々な流派がある。

それぞれ色々な意見があるけど、一人ひとり見える世界が違っていて、見えないものをどう感じるかも違うのだから、それが普通かもしれない。

こだわって、道を求めるからこそ、違う流派が生まれる。

万人への正解なんてない。

私は今まで、目に見えること、おもちゃや服などの「もの」ばかり求めていたけれど、そんなどんなものより、まだ見えていない、まだ感じることもできない、お腹の命が、私に実在を与えてくれる。

似合うファッションやメイク、ショッピング同行で、消費させようとするライバルが多いこの仕事。

私は今あるもの、今あることを活かして、目に見えない、その人その人に合う波長を、色を中心に提案していこう。何かを買わなくても、色が変わって意識が変われば、幸せになれる。

ターゲット層も、他のカラーリストと被っては、苦しい消耗戦で激務になるだけだから、インバウンドで増える外国の方と、フリーランスや経営者に絞ろう。

広告代理店で得た知識を活かそう。

経験がなくて不安だけど、心から、お客様が笑顔になれように祈りを込めて、今ある私の全てを、お渡ししよう。


白黒

黒木さんと白川さんの物語


黒木さんは10年間、カラーリストとして活動していた。予約開始すぐに満席になる、人気サロン。
年収は1000万円を超えて、順調だった。

なんだか見えにくくなっているかも・・・と思いつつも、忙しくて病院に行くのが遅れ、緑内障で視覚を失ってしまう。
真っ暗というよりは、常に薄紫の世界に。

色の仕事をしていただけにショックは大きく、3年間、前向きになれなかった。

白川さんはOLとして働いていた。

40度の熱が出て、冷蔵庫から水を取ろうと立ち上がると、目が回って倒れてしまう。
体調不良が続き、いくつもの病院を巡っても原因不明と言われる。突発性難聴で、ついには聴覚を失ってしまう。

激しい耳鳴りに悩まされるも、補聴器リハビリで和らぐ。音は相変わらず聞こえないが、うっすらと「そこにあるかも」と感じられるようになる。

自分の声が聞こえなくなり、塞いで3年引きこもって、親ともほとんど会話をしなかったため、しゃべれなくなってしまう。


そんな二人が、偶然出会う。

それぞれが、親が「気晴らしに」と企画した、伊勢神宮旅行で。
全く面識もなく、同じホテルに宿泊していた。

二人は一緒にお参りしながら、会話をする。

白川さんは、スマホに入力した文字を読み上げ機能で黒木さんに。
黒木さんは、スマホに音声入力したものを、文字にして白川さんに。

こうして会話を続けていき、半年後には、二人はソウルメイトに。
二人はそれぞれ、五感の一つが不自由になっただけで、他の器官の感受性が、失う前より強くなっていた。

そして世の中は、目や耳から受け取った外部刺激を、それぞれ違う脳が都合よく変換し、各自が独自に作っている、メタバースのようなものだと感じる。

心の持ち方次第で、受け取る外部刺激も、自分がどう解釈するかも違う。当然、脳で作られる世界も違う。

見えていた時と、見えていない時の世界。
聞こえていた時と、聞こえていない時の世界。


お互いサポートしながら、カラーの仕事を開始して、日本一有名な人気サロンに。
その二人の活動が、投げかける。


「あなたの見えている世界は、どんな世界ですか?」

「あなたが作っている、あなただけの世界の中で、色を通じて、何をお客様にもたらしたいですか?」