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自分をよく知ることは


セラピストのお悩み日記みたいになっている

最近のこのノート、 


もっと愉快に楽にお仕事ができたらとも思ってみる。


四柱推命学のなかでは人間のタイプを10にわける。

リーダー気質の人、お祭り好きな気質の人、心配性の気質の人など様々で

各々に適した職業、生き方がある。

自分をよく知ることは賢明な生き方に

より早くよりよくつながる。


たとえば心配性の気質の人にむいている職業

生き方というものがあり

それはリーダー気質の人にはできない職業だったり

生き方だったりする。


けれども       そうかもしれない  

と思いながらもなかなかうまくつかめないのが

自分という存在だ。


ヨガや仏教の世界では 


自分をなくすこと         自分に執着しないこと


が美徳とされる。
 

いっぽうで


自分のキャラクター、気質のようなものが

自分でよくわからないという悩みがいつまでもある。


ちまたのTVや本などでは

自分らしく      とか      自分軸      で生きる

ことが大切でそれが美徳であるかのようにいわれている。


 何となく矛盾をかんじてやまない


自分をなくす          ことと


自分らしく自分軸で生きる             こと。
   


このふたつは自分ということについて

全然ちがうところから話をしている。


だけどふたつに共通することもあって

やっぱりそれが


「    自分をよく知る     」


ということで

このことがやっぱりともすれば

なかなかむつかしいことだ。


瞑想の目的のひとつもそのようなところにあると思う。


私もいまだにそれがよくわからない。


セラピストという今の職業について言えば

いつのまにかメチャクチャ無我夢中になってしまう

無我夢中でやってしまう

他にこんなにも無我夢中になれることが

職業のなかであるのかなと思うくらい。


けれどもだから適性があるとか

ましてや才能とか天分とか

それはわからない。         というよりも

才能、天分       というところでは

それは他のところにあるような気がする。


愉快に気楽に

からだの力をぬいて     力まないということ。


よりそう   ということが


かまえない       力をぬく

とろとろになる

ということなんだと       ある日

からだの感覚でそう感じられたとき


自分のなかでの緊張や身構えのようなところから

解放され        自由になれた。


手のひらをこんにゃくにするという感覚がわかるようになった。


手のひらはこんにゃく

手のひらははんぺん


この感覚が最初からわかっていて

それができる人は

才能、天分があるのかもしれない。

けれどもセラピストの適性はただそれだけではない。


手のひらをゆるめる 

からだをゆるめる

ということは

こころをゆるめることとつながり

こころをゆるめることは

ゆるす

てばなす

愛する

ということにつながっていくのだと思う。


自分をよく知るということもまた

きっと同じようなところにつながっていくのだと思う。






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