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【高校生物】進化③「人類はどのような特徴をもつのか?」

~プロローグ~

「〈宇宙〉は生命をはらんではいなかったし、生物圏は人間をはらんではいなかった。我々の当たりクジはモンテ=カルロの賭博場であたったようなものである。そこで十億フランの当たりを手にして茫然としている人間のように、われわれが自分自身の異様さにとまどっているとしても、なんら驚くにはあたらないのである。」モノー『偶然と必然』より

よく、人類の進化を表す図として、サル、原人、ホモ・サピエンスが一直線に並んで行進しているような図が描かれる。しかし、実際の人類の進化は、そのような直線的な行進ではなかった。様々な人類がアフリカで生まれ、同時代に、時に同じ場所で暮らしていた。人類の進化は、行進というより、歩行者天国に近い。様々な人類は一緒にその広い道を歩いていた。しかし、その多様な人類は、1種、また1種と絶滅していった。そして現在、人類は我々ホモ・サピエンス1種のみしかいない。みんなで歩いていたはずの歩行者天国を、ふと振り返って見れば、誰一人そこにはいなくなっていたのだ。絶滅した人類の中には、ホモ・サピエンス(我々である)より屈強で、頭もよかったかもしれないホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)も含まれる。

ネアンデルタール人





★テストに出やすいワード
①シソチョウ
②白亜紀(恐竜の絶滅)
③適応放散
④直立二足歩行
⑤ホモ・サピエンス



要点:中生代末、恐竜、アンモナイトが絶滅した。新生代には人類が出現した。



★ 中生代(2.51億年前~6550万年前)



● 三畳紀


・ホ乳類出現。

語呂「哺乳類参上(哺乳類が三畳紀に出現)」





● ジュラ紀


・恐竜類・アンモナイト繁栄。

・鳥類(シソチョウ)出現。

・裸子植物繁栄。



雑談:シソチョウ(始祖鳥)は鳥綱の化石動物であり、ジュラ紀後期に知られる。ダーウィンの『種の起源』が発行されて間もなく発見され、ハ虫類と鳥類の失われた環(ミッシングリンク)の発見として注目された(進化は連続的であるのに、ハ虫類と鳥類の中間型の形態が発見されていなかった中で、シソチョウの化石が発見され、ハ虫類と鳥類の形態的なギャップが埋まった。失われた環とは、現存する生物分類群の間に見られる不連続な間隙のこと)。現在では、羽毛をもつ恐竜がふつうに発見されており、どこまでが恐竜でどこまでが鳥類か、境界線を引くことが困難になってきている(シソチョウが、他の全身が羽毛で覆われた小型の恐竜達に比べて、より鳥類に似ているとは断言し難い状況にある)。ハ虫類から鳥類への連続的な進化が明らかになってきた中で、シソチョウを分類学上どこに位置付けるかについては、議論が続いている(現在では、シソチョウは現生鳥類の直接の祖先ではないという説が主流である。現生鳥類が出現した時期についてはまだ意見が分かれているが、化石の多くは、現生鳥類が白亜紀末以前に多様化を始めた可能性が高いことを示している)。下の写真はシソチョウのぬいぐるみと、シソチョウの化石。

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シソチョウのぬいぐるみ。



シソチョウ。




*シソチョウの特徴:①爪を持った指がある。②歯がある。③竜骨がない。④尾骨が発達している。⑤羽毛を持つ翼がある

雑談:竜骨(竜骨突起ともいう)とは、胸骨の腹面正中線に沿った隆起である。鳥類では飛翔筋(はばたく時の筋肉)がしっかり竜骨に付着している。ダチョウやエミュのような飛ばない鳥には竜骨はない。

雑談:アンモナイトの化石は、はじめ雄羊の角と思われた。ローマ人にとって、神聖な雄羊は主神ジュピター・アモンと結びつけられた。そしてアモンの角という意味のアンモナイトという名前になったのである。





● 白亜紀


・被子植物出現。

・白亜紀末に、アンモナイト類・恐竜類絶滅。 

語呂「恐竜、真っ白に燃え尽きる(恐竜絶滅、白亜紀)」

雑談:恐竜という語を「鳥ではない恐竜」として使うことも多い。しかし、恐竜類には鳥類を含めることもある。そう考えれば、恐竜はすべて絶滅したわけではなく、その一部が鳥類に進化して現代まで生き延びたことになる。恐竜は、鳥類をその末裔として残したのである。

雑談:ティラノサウルスは怪獣か?・・・「怪獣」とは架空の生物である。対して、ティラノサウルス(暴君竜とも呼ばれる)は、爬虫綱の化石動物であり、竜盤目獣脚目ティラノサウルス科の一属である。ティラノサウルスは、最後に生きていた恐竜として有名である。

雑談:白亜紀末の大量絶滅は、K-Pg境界大量絶滅と呼ばれる。Kは白亜紀 Cretaceousを表す(Cはカンブリア紀の公式記号に使われているので、白亜紀には使えなかった)。Pgは古第三紀 (Paleogene)を表している。白亜紀末の地層から、イリジウムという、隕石に含まれる金属(地表には稀にしか存在しない)が見つかっており、隕石が衝突したのは間違いないとされる。
*下図は国立科学博物館より(K-Pg地層:矢印の下が白亜紀、矢印の上が新生代の地層。矢印の所でイリジウムの量が急増している。)。

K-Pg地層。矢印の所でイリジウムの量が急増している。



雑談:イリジウムを見つけてから、研究者たちは、地球全体をその破片で覆うくらい大きな小惑星が衝突した証拠を探し始めた。そして、ユカタン半島のクレーターを見つけた。そのクレーターは大きすぎて、当初誰もそれがクレーターであることに気付かなかった。




 

★ 新生代(6550万年前~)


新生代はホ乳類と被子植物が繫栄した時代である。

● 古第三紀



・ホ乳類の適応放散・繁栄。

・被子植物繁栄。

適応放散=「単一の系統から分化して、さまざまな環境に進出し、多様化すること」。

雑談:適応放散は、より厳密には、「同一種の生物が、異なった地域におけるさまざまな環境に最も適応した形質を進化させていくことにより、種分化を起こして多数の異なった系統に分岐し、時間の経過とともにその分岐の程度が強まること」である。



雑談:下図はホ乳類の適応放散のイメージ(現在、およそ、単孔類[カモノハシなど]は5種、有袋類[カンガルーなど]は300種、真獣類[胎盤をもつ]は5000種程度存在する)。



雑談:適応放散は、生態系の中で広くニッチを占めていた生物が大量絶滅した後などに見られる(たとえば、恐竜が絶滅し、哺乳類の適応放散が起きた)。





● 新第三紀



・人類出現。





● 第四紀



・20万年前、ホモ・サピエンス出現。






発展:生きている化石

過去に繁栄した原始的な生物が現存する場合、その生物を生きている化石という。生きている化石には、精子を作るイチョウソテツ(シダ植物と種子植物の中間か?)、シーラカンス(魚類と両生類の中間か?)、カモノハシ(両生類と哺乳類の中間か?)のように、進化の過程を考える手がかりとなる生物が多い。写真はインドネシアシーラカンス(国立科学博物館より)。

シーラカンス。






講義動画【生物の変遷】





雑談:地質時代の語源は以下の通り。
・カンブリア紀:英国ウェールズ地方の古名カンブリアに基づき、セジウィックが命名。ケルト語で「同郷人」に由来。
・オルドビス紀:英国の北ウェールズ地方にローマ人の征服以前に住んでいた古代ケルト族の名前オルドビスをとり、ラップワースにより提唱された地層区分。
・シルル紀:ラテン語のシルル人から。シルル人とは、ローマ人が英国征服当時、この地方に住んでいて、ローマ政権に反抗した勇敢な民族の名前。
・デボン紀:イギリスの南西州デボンシャーのラテン語Devoniaから。
・石炭紀(Carboniferous Period ):ラテン語の木炭(carbon)と、〜を産する(-fer)から。
・ペルム紀:この地層がよく発達している東ロシアの地名ペルムから。昔は二畳紀と呼んだ。
・三畳紀:ギリシャ語の3(トリ)に由来。この地層が典型的に発達しているドイツでは、コイパー、ムシェルカルク、ブントザントシュタインの3種類の地層からなることによる。これを漢字で三畳としたのは原田豊吉とされる。畳の字は、疊とも書き、(テストに書いてはいけない)これは「多く積み重なる」という意味である。
・ジュラ紀:ジュラ山脈から。ドイツ語ではユラと読む。
・白亜紀:ラテン語のCretaceous が語源で、これはcreta(白亜)の形容詞形。地質時代の名称に使われるのは、イングランドやフランスに広がるチョーク(白亜)層について、フランスのダロイがCretaceous と名付けたため。
・第三紀:18世紀はじめにヨーロッパで、結晶質の岩石を主とする金属鉱床を伴う山及び岩石を第一期層、石灰岩などからなり、鉱床は少なく化石を含む山を第二期と呼んでいた。これに付け加える形で、イタリアのアルデュイノが、礫、砂、粘土、泥灰岩などの地層からなる低い山およびその地層に対して「第三の」と呼んだのが始まり。第一期、第二期はその後廃れ、第三だけが今でも使われている。かつては「第三期」と書いたが、明治16年ごろから「第三紀」となった。
・第四紀:ラテン語のquaternariumu(第四の)から、第三紀にならって、デノイヤーが提案した。





要点:人類は直立二足歩行を行う。


(1)霊長目


● 霊長目(←現生のツパイに似た食虫目の仲間から進化した)の特徴

両眼が顔の前面につき、立体視できる範囲が広い→遠近感が発達(樹上生活では、枝までの距離感をつかむことは大切)

平爪(物がつかみやすい。かぎ爪では物がつかみにくい)

拇指対向性(ぼしたいこうせい。拇指が他の4指と向かいあい、物がつかみやすい)

*拇指対向性:拇指が他の4指と向かい合い、結果としてものを把握できること。

雑談:直立二足歩行をする人類では足の拇指対向性は消失したが、手ではこれが極度に発達し、道具使用の能力を促進する基盤となった。


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拇指対向性:拇指が他の4指と向かいあい、物がつかみやすい。






挿絵:拇指対向性(物がしっかりつかめる)

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(2)人類



● 新生代の古第三紀に、まず類人猿が現れた。 

例 )現生の類人猿…テナガザル類、オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ

● 新第三紀に、類人猿の中から(ただの二足歩行ではなく)直立二足歩行を行う人類が現れた。





人類は、以下のような特徴をもつようになった。

脊椎がS字状に湾曲した。(非常に重要)


*下図は国立科学博物館より(一部加工しています)。

S字状に湾曲した脊椎。


・前肢をさまざまな作業に使うことができるようになった。

・後肢に土踏まずができ、歩行に適するようになった。

・直立姿勢で内臓を支えるため、骨盤が幅広くなった。

大後頭孔(だいこうとうこう)が頭骨の真下に位置し、脳が重くなる(大脳が発達)ことが可能になった。

眼窩上隆起(がんかじょうりゅうき)が小さくなり、犬歯が小さくなり、あごが退化した(おそらく軟らかいものを食べるようになったから)。
*眼窩上隆起は咀嚼器官の強力な圧力を吸収する装置であると見なされている。

・歯列がU字型から放物線型になった。


● 新人にはおとがいがある(歯が小型化したため発達)。

下図はイメージ。


大後頭孔が頭骨の真下に位置し、脳が重くなることが可能になった。



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*下図は国立科学博物より(一部加工しています)。





雑談:新第三紀の最初の時代の類人猿プロコンスルは、完全な骨格がケニアから見つかっており、樹上性四足歩行をしていたと考えられている。尾は失っている。プロコンスルは、かつてはチンパンジーやゴリラの直接の祖先とされていたが、現在では、現生の大型類人猿とヒトとの共通の祖先を含む分類群と考えられている。プロコンスルは「コンスルの前」という意味で、当時ロンドン動物園で飼われていたチンパンジーの名前"コンスル"にちなむ(化石がチンパンジーに似ていたことから、発見者のリーキー[イギリスの人類学者]が名付けた)。

雑談:ヒトを系統樹のどこに位置付ければよいのかという問題は、多くの博物学者、生物学者を悩ませてきた。リンネは同僚への手紙の中で以下のように感情を吐露している。「私は博物学の原理に則って、ヒトとサルの違いを見つけようと、ありとあらゆるものを調べた。しかし何も見つからなかった。ああ、誰かが1つでも違いを教えてくれたら!」






発展:霊長類の系統樹


霊長類の系統樹を示す。覚える必要はないが、オランウータン、ゴリラ、チンパンジーの系統樹上の位置はたまに問われることもある。系統樹の枝の長さは正確ではない。

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霊長類の系統樹。




雑談:現生の霊長類は曲鼻猿類(原始的なイメージ。鼻腔が屈曲し、鼻孔が横を向く。鼻腔が外側に曲がり、鼻孔が左右にわかれることで、 より広い範囲からにおい物質を得ることができると考えられている。かぎ爪をもつものもいる)と直鼻猿類(より高等なイメージ。鼻腔が真っすぐで、鼻孔が下を向いている。ヒトも含まれる)に分けられる。
曲鼻猿類はキツネザル類とロリス類に分けられる。
直鼻猿類はメガネザル類と真猿類に分けられる(かつては曲鼻猿類とメガネザル類を原猿類としてまとめていたが、今ではメガネザル類が真猿類に近いことがわかっており、原猿類という語は使わなくなってきている)。
真猿類は広鼻猿類(新世界ザルとも呼ばれる。中央アメリカと南アメリカに住む。オマキザル、リスザルなどが含まれる。鼻孔は広く、外側を向いている)と狭鼻猿類(旧世界ザルとも呼ばれる。鼻孔は狭く、左右の鼻孔は下方を向いている。オナガザル上科とヒト上科[ヒトや類人猿を含む]に分けられる)に分けられる。
*ヒトは「霊長目ー直鼻亜目ー真猿下目ー狭鼻小目ーヒト上科ーヒト科ーヒト属ーヒト」のように分類されることが多い。ヒト科にはオランウータン属、ゴリラ属、チンパンジー属(チンパンジー、ボノボを含む)も含まれる。
*霊長類の分類については様々な説がある。高校生は教科書や資料集の解釈に従え。

霊長類の分類。



雑談:ヒト上科に含まれる、テナガザル類、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンなどを類人猿と呼ぶ。

雑談:新世界ザルは2500万年前に初めて南米に移入したと考えられている(アフリカから、漂流物に乗って南米にたどり着いたか?)。






要点:ホモ・サピエンスは20万年前に出現した。



● 類人猿の仲間から、以下のようなたくさんの『人類』が現れては、絶滅していった。現生するのはホモ・サピエンスのみである。

(1)サヘラントロプス・チャデンシス

(700万年前に出現最初期の人類化石。アフリカのチャドで見つかった。)

雑談:直立二足歩行をしていた可能性が高いが、まだわかっていないことも多い。

(2)アルディピテクス・ラミダス

(440万年前に出現。ラミダス猿人。直立二足歩行した。ラミダスの語源は『根(ルーツ)』。)

雑談:足にアーチ構造がなく、まだ長距離を歩くのは苦手だった。

(3)アウストラロピテクス・アファレンシス

(400万年前に出現。『南の類人猿』の意。アフリカで発見。脳容積350~500cm3)

雑談:ほぼ全身骨格が揃っているルーシーという化石が有名(化石発見時のパーティーでビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』がかかっていたことからその名がついた)。アウストラロピテクスは「南方の類人猿」という意味。身長100~150cm。アファレンシスの犬歯は、ラミダスより小さくなり、脅しの道具としても役立たないほど退化した。アファレンシスの骨格と筋肉の付き方から考えると、少しドタバタした歩き方だったのではないかとも言われている。


*下図はルーシー(アウストラロピテクス・アファレンシス)の模型(国立科学博物館より)。

アウストラロピテクス・アファレンシス。





(4)ホモ・ハビリス

(250万年前に出現。『器用な人』が語源。脳容積600~750cm3)

雑談:ホモ・ハビリスは原始的な石器を用いた。全身は体毛に覆われていたが、猿人よりはうすくなった。眼窩上隆起は、嚙む力が強いほど発達する。ハビリスの眼窩上隆起が低くなっていることから、ハビリスは、柔らかい食べ物を食べていたと考えられている(おそらく石器を利用して多様な軟らかい食べ物を得ていたのであろう)。

(5)ホモ・エレクトス

(200万年前に出現。原人。ジャワ原人や北京原人などはこの仲間。『直立する人』が語源。脳容積800~1200cm3)

雑談:体は現代人に近い。ホモ・エレクトスの中には、渋谷を歩いていてもわからないくらい現生人類と似ている者もいただろう。ホモ・エレクトスには、歯のほとんどない化石が見つかっている。この老人は、歯が無くなった後もしばらく生きていた。つまり、介護の概念が存在していた可能性がある。エレクトスは、獲物を追い詰める優れたランナーだったとも考えられている(汗をかくことで体温の上昇を防ぎ、炎天下を長時間走り続けた)。脳容積はアウストラロピテクスのおよそ2倍に増えている(狩りの獲物を食べることで栄養の量が増大したからかもしれない。そして、脳が大きくなることで、より狩りの能力が上昇したのかもしれない)。

雑談:ホモ・エレクトスは、約180万年前に最初の「出アフリカ」を果たした(アフリカを出た)と考えられている。その後、ホモ・エレクトスはユーラシアに広がり、ジャワ原人や北京原人などを残した。


*下図はホモ・エレクトスの模型(国立科学博物館より)。

ホモ・エレクトス。







(6)ホモ・ネアンデルターレンシス

(30万年前に出現。旧人。ホモ・サピエンスと交雑したらしい。ネアンデル渓谷で発見。脳容積1400cm3)

雑談:ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンアデルタール人)は、ホモ・サピエンスと比べると、背が低くずんぐりしているが、骨は太く、筋肉量は多かったと考えられている(ホモ・ネアンデルターレンシスは、大きな体を維持するための十分な食料を得られなくなり、数を減らしていったのかもしれない)。手足に大きな障害を負っても生存していた個体があることを示す化石記録は、ホモ・ネアンデルターレンシスに、互いを思いやり、支え合う社会構造があった可能性を示している。なお、ホモ・ネアンデルターレンシスは、洞窟に、いくつもハッシュタグ(#)の模様を刻んでいる。ちなみに、ネアンデルタール人の語源はネアンデル渓谷だが、ネアンデル渓谷の語源は、その渓谷を愛した聖職者ヨアヒム・ネアンダーである。

雑談:ホモ・ネアンデルターレンシスの出現の前に、ホモ・ハイデルベルゲンシスという旧人も出現している(およそホモ・ハイデルベルゲンシスはおよそ60万年前に出現したと考えられている)。ホモ・ネアンデルターレンシスは、ヨーロッパにいたホモ・ハイデルベルゲンシスから分岐したらしい。

雑談:「ネアンデルタール人はホモ・ネアンデルターレンシスという独立の種を形成する」と考える研究者と、「ネアンデルタール人は現生人類と同じホモ・サピエンスの中に分類される」と考える研究者がいる。未だ決着はついていない。

雑談:ホモ・エレクトスと、ホモ・ネアンデルターレンシスはアフリカ以外にも分布していた。

*下図はホモ・ネアンデルターレンシスの模型(国立科学博物館より)。

ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)。






(7)ホモ・サピエンス

20万年前に出現。新人。おとがいをもつ。唯一現存している。動物界ー脊椎動物門ーほ乳綱ー霊長目ーヒト科ーホモ属。脳容積1000~2000cm3)

*現代人と同様の骨格形態特徴を示す人類を新人という。現在では、ホモ・サピエンスのみが新人に含まれる。あなたはホモ・サピエンスである。クロマニョン洞窟から発見された化石人類であるクロマニョン人もホモ・サピエンスであり(おとがいをもつ)、新人に含める。

語呂:「偉い現代人休日に寝るんだ(エレクトス=原人、旧人=ネアンデルタール人)」

雑談:ホモ・サピエンスは、およそ20万年前にアフリカに現れた(アフリカにいたホモ・ハイデルベルゲンシスから分岐したらしい)。10万年前頃からホモ・サピエンスの一部がアフリカを出始めた。3万年前までホモ・ネアンデルターレンシスもヨーロッパと西アジアに生存しており、ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシスは交雑したらしい。


*ホモ・サピエンスが見たければ、鏡の前に行くがよい。




<Q.ホモ・サピエンスは脳が大きいから頭がいいんだよね?…実は、脳の大きさと知能(知能をどう定義するのかについては難しい問題があるが)の関係については、まだよくわかっていない。しかし、ホモ・サピエンスへの進化の過程で、脳の巨大化が起こってきたことは間違いないと思われる。ただし、インドネシアのフローレス島で発見された非常に小型の人類、ホモ・フロレシエンシス(身長は成人で1mほど。5万年くらい前までフローレス島にいたと考えられている)は、骨格形態上は原人に分類されるが、その脳の容積は猿人並みに小さい。その脳の容積は、現代人の3分の1程度である。このことは、人類における脳の進化が「巨大化」という一本道ではない可能性を示唆している(ホモ・フロレシエンシスは、ホモ・エレクトスが孤立した島の環境で矮小化した結果現れたものだとする説が主流であるが、まだ謎が多い)。>

脳の大きさと知能の関係については、まだよくわかっていない。







講義動画【人類の進化】







問題:初期の人類は直立二足歩行していたと考えられている。直立二足歩行の根拠となる骨の特徴を1つ記せ。

答え:大後頭孔の位置が頭蓋骨の真下にある。脊椎がS字状に湾曲している。骨盤が横に広く内臓を支える形になっている。かかとや土ふまずがある。などから1つ。



雑談:ホモ・サピエンスの進化について、2つの仮説が提唱されていた。1つは「多地域進化説」で、ホモ・エレクトスがアフリカからアジアやヨーロッパに拡散し、それぞれの地域でホモ・サピエンスに進化したという説である。もう1つの説が「アフリカ起源説」で、アフリカからホモ・サピエンスが誕生したという説である。現在では、多数の証拠から、アフリカ起源説が正しいと考えられている。

雑談:下図は系統樹のイメージ(枝の長さなどは正確ではない)。アフリカを出たホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、アフリカの外で交雑したと考えられている(下図黒矢印のところで交雑したらしい)。また、かつては、ネアンデルタール人は他の地域の人々よりも特にヨーロッパの人々に近いと考えられていたこともあったが、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析により否定された。

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アフリカを出たホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、アフリカの外で交雑したと考えられている。




雑談:古代DNAの解析は生きた生物のDNAの解析に比べて、非常に困難である(当たり前だが、長い時間が経つと、DNAが破壊されたり[通常は100塩基未満の断片しかない]、配列が変化したりすることがある。また、実験中、細菌や研究者自身のDNAが外部から混入する可能性がある。簡単にサンプルを郵送することすらできない)。ただし、対策がないわけではない。大量のデータを得ることによって、コンタミネーションの影響を適切に評価できるようになる。また、頭骨の一部は、内在DNAが多く存在する場所として同定されている。

雑談:ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が交配していた可能性が高いからと言って、アフリカ人以外の人類が、何やらネアンデルタール人から「優れた能力」を得たということにはならない。そのような考えは簡単に肯定も否定もできない(より多くのネアンデルタール人のDNAを解析する必要があるだけでなく、塩基配列と形質の関係についても研究を進める必要がある)。それに、異なる種類の人類の間で遺伝的な交流が行われたことは、それほど稀なことではなかったのかもしれないとも考えられている。

雑談:ノーベル賞受賞者であるペーボは、著書『ネアンデルタール人は私たちと交配した』の中で、ネアンデルタール人の研究成果に関する誤解から、特定の地域に住む人々に対して差別が行われはしないかという心配をしている(彼のもとには、「自分(あるいは愛するパートナー)はネアンデルタール人じゃないかと思う」という手紙が複数届いたそうである)。

雑談:ネアンデルタール人のDNAを解析し、人類学を大きく発展させたペーボ博士は、2022年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。博士は、著書の中で、研究生活の試行錯誤を屈託なく語っている。「本当に、絶滅した人類から初めて抽出され配列決定されたDNAかもしれないとわたしは思い始めた。ラボの談話室の冷蔵庫にあったシャンパンで乾杯した。もしこれがネアンデルタール人のDNAなら、途方もない可能性が開かれたことになる。」スヴァンテ・ペーボ『ネアンデルタール人は私たちと交配した』より

雑談:地球が誕生してから現在までを1年にたとえてみよう。年明けとともに地球が誕生したとする。真核生物の誕生は、およそ8月、夏休みあたりである。哺乳類が出現したのは、12月の中頃である。人類が文明をもった1万年前は、12月31日23時59分である。






テストに出ない人類学の雑学(知らなくてよい)

・直立二足歩行できるのは人類だけ。恐竜などは「二足歩行」できるが直立していない。直立二足歩行は以下のように様々な形質を我々に与えた可能性がある。
直立二足歩行―内臓下降―骨盤変形―難産―生理的早産―家族・学習の発展
直立二足歩行―声帯下降―音域拡大―音声言語―家族・豊かなコミュニケーションの発展
直立二足歩行―手の開放―手作業・道具使用・道具製作・手による物資の運搬(コミュニケーション、家族を養う)の発展

・近年では、森を出る前から人類は直立二足歩行していたと考えられている。

・初期猿人であるアルディピテクス・ラミダスは確実に直立二足歩行できた(アウストラロピテクスよりも前に)。

・ラミダスの足はものをつかめるサルのような形。木の上で暮らしていたことがうかがえる。

・ラミダスのオスの犬歯は小さく、これは暴力性の減少をあらわす。つまりラミダスの社会ではオス同士の闘争やメスに対する暴力的アプローチは少なかったであろう。ラミダスの社会は一夫一妻制であったとされる。

・二足歩行はラミダスにとって平地で不利に働いた(遅いし、まだラミダスは長距離に向かなかった)。肉食獣に襲われる危険に常に晒されていたであろう。しかし、手が空くことで「食べ物を持って帰る」ということが可能になる→食べ物を多く持って帰るとモテる(優しいオスが食糧調達能力によってモテる [食料供給仮説])

・二足歩行の様々な(まだ仮説段階の)利点→4足歩行よりエネルギー効率が良い、敵を威嚇できる(立ち上がれる)、食料や赤ん坊や道具を運べる、周囲を警戒できる(立ち上がれる)。

・アウストラロピテクス・アファレンシスは足にアーチ構造があり、親指と他の指が平行になっている。かかとの骨も大きく、長時間立ち続けることができた。犬歯はさらに小さくなり、脅しの道具としても役に立たなくなった。

・アウストラロピテクス・アファレンシスの足跡の中には、家族と思われる集団によってつけられたものもある。

・複数の家族が協力し合い、一定の集団として機能させるのは人類の特徴である。アウストラロピテクス・アファレンシスは仲間と身を寄せ合い集団でお互いを守っていた。

・アウストラロピテクス・アファレンシスはルーシーという化石が有名(発見されたときの宴でビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」が流れていたことが由来)。

・ホモ・ハビリスははじめて石器を本格的につくった人類である。体毛はアファレンシスよりも少なくなっており、地肌がうっすら見えていた。草原では、肉食動物が食べ残した動物の死体を見つけ、おこぼれを頂戴することもあっただろう。動物の骨髄には豊富な栄養が含まれている。動物の骨を割ろうとして、石を使って叩いているときに、破片で物が切れることに気が付いたのだろう(もしかしたら割れた骨の鋭利な部分で自分の手を切ったのかもしれない)。

・ホモ・エレクトスは体毛がほとんどなくなり、発汗で効率的に体温を下げることができた→暑い環境下でも長時間行動できるようになった。

・ホモ・エレクトスはハンドアックスなどを使った=エレクトスは積極的に狩りを行った(狩られる側から狩る側へ。獲物がつかれるまで粘り強く追いかけていた。現在、地球上で真夏にマラソンできる動物は人だけだという説もある)。

・ホモ・エレクトスには歯のない老人の化石も見つかっている。これは、やさしさが生まれ、この老人が軟らかい食物をもらっていたことがうかがえる(介護の誕生)。

・何がネアンデルタール人と現生人類の運命を分けたのか?集団の大きさか?(ホモサピエンスのほうが集団が大きかった)狩りの方法か?(ネアンデルタール人は屈強で、肉弾戦を好んだ。一方華奢なホモ・サピエンスは飛び道具を開発した)






まだわかっていないこと

● どのような恐竜が恒温動物であったのか。

● 恐竜の鳴き声はどうであったか、色はどうであったか。

● 恐竜はどうして絶滅したのか。

● 被子植物はどうして急に出現したように見えるのか(重複受精、花など、多くの特徴はいつ頃獲得されたのか。祖先は誰なのか。突如として現れ、急速に繫栄したように見えるのはなぜなのか)。ダーウィンは被子植物の進化について「忌まわしき謎」と呼んだ。

● どうしてネアンデルタール人は絶滅したのか(ホモ・サピエンスが、原始的な宗教を生み出したことで、大きな集団を維持することができ、助け合うことで生き残ることができたという説もある。筋肉量が多くがっしりとしたネアンデルタール人は、多くの食物を必要とし、食糧不足に陥ったともいう説もある。ホモ・サピエンスの方が声によるコミュニケーションが得意であったという説もある。)。

● ホモ・サピエンスはどのようにネアンデルタール人と関わったのか。

● ネアンデルタール人をホモ・サピエンスに含める学説もある。ネアンデルタール人はホモ・サピエンスと交配したとされるが、ネアンデルタール人をホモ・サピエンスに含めることに、どのような問題があるか。

● 人類をどう定義すればよいか。

● どうして現生の人類にはホモ・サピエンスしかいないのか。