220331【野球少年の質問】
2022年のプロ野球ペナントレースが開幕した。先に申しておいて得も損も無いが、ワタクシは生まれてこの方プロ野球大好き人間、大正義巨人軍のファンである。この時期において、今シーズンはどんな戦い方をするのか、どんなペナントレースになっていくのか、とてもワクワクしちゃうのだ。もちろん、贔屓球団にはぶっちぎりで勝ち続けて優勝してほしいのだけど。
高校野球までは、一応、野球をするプレイヤー側の立場でもあって、冬が明けて、対外試合が組まれだして、春の大会に繋がっていくのが今日この頃であり、どこかしら人間の根暗の部分はありながらも、野球ができることの歓びを感じていたのかもしれない。曲がった人間ではありますが。
さて、ご縁あって、2022年は開幕カードの試合を現地で観に行くことができた。東京ドーム、ライト側の外野席。まあ、チケットはすべて妻の母ちゃんが手配してくれて、自分と義母と2人で、東京ドームに足を運んだ。どんどんDX化が進む東京ドーム。入退場、販売、球場内の看板。見てて飽きないね。試合開始1時間以上も前に入り、指定された席に着いた。なんと、外野席の前から5列目。これ、ホームランボールがキャッチできる席だし、なんならテレビに映るかもしれないじゃんと、一人テンションが上がった。自宅でテレビ観戦している妻と娘にもすぐ分かるように、何故か被ってきた三四郎のオールナイトニッポンのNEW ERAのキャップをずうっと被ることにしよう。
せっかくなら豪華にと、2700円もした蟹工船のカニやらウニやらイクラやら豪快に乗った弁当を頬張りながら、試合前の練習を眺めた。広い球場で、各々のペースで選手たちがウォーミングアップをしていく。コロナ前だったら、練習風景を観ることを目的に、早めに球場入りするファンも多いだろうし、好きなだけ声がけもできただろうな。選手にサインを求めて、都合よく書いてもらえる距離ではないけど、選手名を声に出せば、確実に届くし、何かしらリアクションしてくれるはずだ。
その時、小学5年生の自分が出てきて、綴る。
小学5年生の時、自分は田舎町の少年野球チームに所属していて、8月の夏休み、地元出身のプロ野球選手が所属する球団の試合が東京ドームで行なわれ、父母会がバスを手配してくれて、チーム皆で観に行った。夏休みの思い出というのは、大人になってもよく覚えている。自分が好きな球団、巨人戦ではなく、当時、日本ハムファイターズのメイン球場でもあった東京ドーム、その対戦相手、当時福岡ダイエーホークスに我が地元出身の野球選手が所属していた。ポジションは投手で、その年は二桁勝利を上げ、パ・リーグ優勝に貢献していた主力選手だった。まだパ・リーグの入場チケットは余裕を持って買えた時代で、ビジター席となるレフト側の外野席、ダイエーの応援団に混じって、片田舎の野球チームが20~30人分くらいの帯になってどっしり座った。少年野球チームでの東京ドーム観戦は、自分にとっては初めてだった。恥ずかしがることなく、選手名を叫ぶ、純粋な野球少年たち。背番号や、約100m先ではあるが主砲のバッティングフォームや打球を見て分かる。
「〇〇選手!!」
「〇〇選手、こっちこっち!!」
本当に自分たちに向けて手を振ったかどうか、明確ではなくても興奮するもんだ。そして、しばらくすると、地元の英雄なる選手が、外野ライトとレフトのポール間をジョギングするように走り出した。自分たちは、外野席最前席から落ちるほどに身を乗り出して叫ぶのだ。
「〇〇投手、頑張ってください!!」
「〇〇投手―!!」
この時期はペナントレースの真っ最中、その年は最終的には優勝、日本一になるのだが、今思うと、8月、ペナントレースは佳境を迎えた時期で、余裕は無かったに違いない。しかも、まだ若手だし、練習に、目の前の一試合に集中しなくてはいけないのだ、憶測ですが。
大人の事情と言うか、シーズンの事情を分からないまま、必死に自分たちは声をかけたし、自分のポジションが投手であるがゆえ、思い入れが強かった。
「〇〇投手、〇〇投手、〇〇投手…」
自分の声は東京ドームの天井に消えていった。おそらく。地元の英雄の一人であるその投手からの反応は無く、手も振ってくれなかった。
そして、話はその年の年末に飛ぶ。選手の所属球団は日本一になり、シーズンオフ、地元に凱旋、少年野球教室に、町の文化会館にてトークショーが行なわれた。自分の所属していたチームも、野球教室、その後のトークショーにも参加した。自分はチームのエース投手でキャプテンだった。野球教室では、180センチの投手を目の前に緊張しながらも、投球練習を見てもらった。技術どうこうより、「走り込みな。」と言われたことが印象的。小学校5年生にも関わらず、体重は60キロ台後半、あったと思う。太り過ぎで、バント作戦をよくヤラれた。それでも、球は速く、エースのポジションに君臨していた。
さて、その後のトークショーである。文化会館の多目的大ホール。地元の少年野球チームや、一般客、投手の同級生等、田舎町の一大イベントとして、1000人以上が集まったと思う。そのトークショーでは、当該投手と、何人かの選ばれた人がステージに登壇してトークする、という構成になっていた。自分たちのチームからも代表者が登壇することになっていて、自分はやりたくないと言い続けたが、キャプテンで投手の身であり、登壇することになった。
事前に登壇者は打ち合わせがあり、投手に何を質問するか、内容は話さなかったが、ステージ上の立つ位置、そこから座る位置や質問の順番、マイクの回し方等、確認作業程度に行なわれた。
自分は、何を質問しようか、迷っていた。少年野球で投手をやっていて、日々の練習で何を意識すればいいのか、どうやったら速い球を投げられるのか。質問内容が固まらないまま、トークショーが始まり、舞台袖から登壇した。服装はもちろん、野球チームのユニフォームである。簡単な一礼から、並べられたパイプ椅子に座る。1000人もの人前に立ったことなんて、当時無かったから、めちゃくちゃ緊張して、猫より猫背だったと思う。
司会の方の当企画の説明や、紹介が終わった後、順番に投手に対する質問コーナーが始まった。自分は、後半の方だったと思う。登壇者の質問に耳を寄せる。投手の同級生、クラスメイト代表からの質問は、「ズバリ、年俸はいくらですか?」だった。大人な質問、懐事情な質問だ。また、隣のライバルなる少年野球チーム代表の少年も質問をした。
「どうやったら、野球上手くなりますか?」
純粋なる野球少年の質問としては、100点満点だと思う。投手の子どもの頃のエピソードから始まり、いっぱいご飯を食べて、一生懸命投げて打って走ってと、ハートフルな話に盛り上がる。
その次は自分だった。少年野球チームの名前、キャプテンの矢口です、と名乗ってから質問に入る。
「僕たちのチームは、8月の東京ドームでの日本ハムファイターズとの試合にみんなで観に行きました。その時、試合前に練習時間に外野席から〇〇投手にみんなで声をかけました。その時、なんで返事をしてくれなかったのですか。なんで手を振ってくれなかったのですか?」
会場は笑いに包まれた。投手は苦笑いをしながら頭を抱えた。回答に困っていた。自分は、正直恥ずかしい気分になった。ただし、やりきった後で猫背が直っていた。
人生に少しでも、エンタメを、そして、ハプニングを。
その次の年から、自分は当選手の少年野球教室が怖くなった。ただ、野球はそれからめちゃくちゃ上手くなって、たぶん、その地域で一番上手いレベル、まあ、県選抜メンバーまで上り詰めるんだけどね。
ファンサービス、できる限りやってください、興行だもの。2022年もプロ野球、楽しみよ。
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