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220303【初めての海外はシンガポール】

大学1年生の11月の終わり、ご縁あって彼女ができた。「パチンコホールスタッフのアルバイトを辞めなさい」と、口酸っぱく言ってきた彼女。そんなことを頭に書いてしまって申し訳ないが、自分の大学生活の潤いと、軌道修正にも力を貸してくれた彼女。どれくらい付き合っただろう。キーボードで打ち込む前に考える。別に彼女との交際録、彼女の解体新書を書くつもりはないが、今回はその軌跡をダラダラと、一部包み隠しながら記すことにするし、この駄文は絶対彼女には渡らないと、勝手に断言する。

同じサークルに所属していた彼女。大学祭実行委員会に属していた自分、その年の大学祭が無事に終わり、大学祭=大型案件から開放された身から、クリスマスに向けて恋愛に動き出す傾向は、どの大学生も同じと聞いたことがあった。そのビッグウェーブに乗ったわけでは無いが、「大学祭が終わったらご飯に行きましょう。」と秋口くらいから彼女に言い続けて、周りが勝手にライバルに見えて、先を越されないか心配になって、それでも約束は約束だから、「大学祭が終わったら。」を守り、やっとご飯なるデートが実現できた11月のもう後半。テレビで話題になっていた中華街のお店。あんかけ焼きそばを食べて、みなとみらいを散歩して。

もう、行くしかないやろ。と、頭の中で似非大阪弁が出てきた帰り道、東神奈川駅近くの公園で、告白をして、返事は数日後に、岸根公園で受け取った。

自分の尺度で恐縮だが、彼女は「いいところの子」である。出会ってすぐに気づいたが、付き合っていくうちにその“良さ”は深堀りできた。彼女の家族の話を聞いたとき。父は大学教授をしていて、とあるテレビ番組の監修をしたこともあると聞いた。また、母も教師だったかと思う。教育一家に生まれ、彼女は小学生の頃、コーラスグループなる課外活動をしていて、東京ディズニーリゾートで発表会があったと聞いた。そうそう、地元が市川、浦安の方で、ディズニーランド、ディズニーが好きと聞いた。

付き合って半年くらい経って、初めてディズニーシーに行ったけど、あれ、楽しかったなぁ。平日に行ったから、他のお客さんが比較的少なくて、タワー・オブ・テラーを8回くらい乗ったことを思い出す。恥ずかしながら、ディズニーリゾート、家族でのお出かけでしか行ったことがなかったから、初めての恋人とのディズニーデート、ベタながら楽しかった。そうそう、彼女、その後、ディズニーリゾートでアルバイトをしていた時期があった。アトラクションの名前が分からないんだけど、シアター的なところで座って、始まったらMCのお姉さんが長尺のセリフを噛まずに話して、演出とともに掛け合いをするやつ。彼女、あのMCをしていて、いつの日かディズニー好きのタレントさんのブログにツーショットで出ていることがあってビックリした。人前で話すことが苦にならず、学業も優秀、今は小学校の先生をしていると聞いた彼女。そんな彼女が自分と合うわけなく、付き合って早々に危機を迎えた。彼女の助言に従い、パチンコホールスタッフのアルバイトは辞めたものの、「私たち、やっぱり別れましょ。」と付き合って2ヶ月位で言われたところから、頭を下げて、イチから、いやゼロからやり直して、そこから2年半は付き合った。彼女との想い出が、大学生活の想い出の多くを占める。

大学2年生の時、彼女はサークルを早々に辞め、勉強、将来の夢のために時間を割くようになった。自分は隣で、ゴロゴロしているダメダメ大学生だったのだが。でもね、めちゃくちゃ仲良かったと思うのよ、当時は。自分は彼女の部屋に毎夜のように訪れていた。そして、同じ法学部であったため、同じ講義を選択し、隣で講義を受けたことも多々あった。卒業に向けた単位取得のために彼女を活用した、というのは否定できないけど、周りの友人へのちょっとしたアピールもあったかな。まあ、成績はもちろん彼女の方が優秀。そうそう、優秀卒業生なるものに、彼女の名前があって、逃した魚は大きいと感じたこともあったかもしれない。

彼女と行ったディズニーもそうだけど、初めて行った海外も、彼女とだった。

大学2年生の終わり、3月にシンガポールへ行った。その年から遡った年末に、「春休みに海外に行こう。」と彼女と会議が起き、一緒に大学生協の一角にある旅行代理店なるスペースで、ラックに並んでいた海外旅行のパンフレットを漁っていた。自分の希望では、大学生が行くベタな海外の韓国、ハワイ、グアム等ではなく、ちょっと周りが行かないようなところに行こうよ、と提案した。英語が話せるわけでもないのに。また、自分、海外どころか、飛行機も未経験であった。そんな中、ほぼ自分のワガママとパンフレットを用いたプレゼン力で決まった目的地、シンガポール。赤道直下の貿易中継地、観光都市。天気が良いときはインドネシアが見れるんじゃない、とホラを吹いて成田空港から飛んだ。

当時、マリーナベイサンズが竣工されていないシンガポールだったが、初めての成田空港から搭乗手続き、飛行機内、チャンギ国際空港、初めて踏む海外・シンガポールの地、一瞬一瞬に興奮していた。機内泊で寝不足ではあったが、現地ではベタなマーライオンに、“トライショー”と呼ばれる人力車で一般道からヤミ市場のようなマーケットを縦断したり、ドライバーに「らぶほてる!」と案内されたホテル街も走った。その旅行に、デジカメを持って行かなかったことを後悔している。シンガポールの街、どうだったっけと思い出す品も画像も何も無い。あぁ、あそこ行ったっけ、的な想い出だけで申し訳ない。ナイトサファリにチャイナタウンにも足を運んだ。また、常夏の国で食べたファストフード、マクドナルドやスタバのフラペチーノは、日本より美味く感じた。4日間ほど滞在したのだが、今じゃ考えられないくらいのペースでジャンクなフードを楽しんだ。とりあえず、目の前で見た、感じたシンガポールを書いてみるが、英語が全くできない自分は、基本彼女に対話だったり、オーダーを任せていた。少しぐらいでいいから英語を話せるようになりたい、と思ってもう30代になってしまった。一応、小学生の頃、田舎ながらもECCジュニア英会話教室に通っていたのだが、今は全然英語なんて話せないし、何かあったらスマホで翻訳している。情けない。。。

さて、シンガポールの帰り道、自分たちはとあるトラブルに巻き込まれた。

シンガポールから飛ぶはずの飛行機が、成田に飛べなくなったのだ。その日、成田空港で貨物機による事故が起き、滑走路が封鎖されて、飛べなくなった。仕方なく、搭乗予定の便を諦め、パッケージとして申し込んだ旅行会社を通じて、空港で数時間待機したあと、別の便で関西国際空港に飛ぶことになった。関西国際空港に飛んだあと、伊丹空港までは実費で移動したが、伊丹から羽田への飛行機は手配してくれて、大阪を少しだけ寄り道して帰国したことを覚えている。大阪に来たのだから、ちょうど高校野球春のセンバツ甲子園が行なわれていて、立ち寄りたかったが、長旅の疲れで帰京することにした。ほぼ、シンガポールで彼女と何をしたのか書いていないが、初めての海外旅行、シンガポール、楽しかった。当時、一応大学のゼミでアジアの国際政治学を学んでいたため、シンガポールに行くことを教授に伝えたら喜んでいたことも思い出した。海外って良いなぁと感じ、シンガポールに行った5ヶ月後、今度は北京に行くことになったのは、また別の機会で書こうと思う。立て続けに海外に行けたのは、大学に入って最初の一年、パチンコホールスタッフのアルバイトで稼いだおかげだとは、彼女には言わないことにした。

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